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私の料理の紹介(その1

昭和49年卒 松原秀彰  

このホームページに、私の料理の記事を今後載せていきたいと思います。同期の清水淳一君の料理の記事がすでに載っています。彼と私はすでに中学時代から料理のことを会話していたと思います(音楽や小説などの話の合間)。キャンプに行ったり、泊まりっこ(お互いの家に泊る)のときに、まあ初心者的な料理をしたのが実践の始まりと思います。大学生になって、その後社会人になって、彼は料理というか食べ物のことについて非常に深くなって行って、彼の結婚後にお宅に招かれて彼の料理を食べたときには、もうプロ級というか、すごい腕前になっていました。私も料理は上手くなりたいなあと思っていたので、いろいろ彼に教えてもらい、この時点では彼は私の料理の師匠でした。清水君の料理の素晴らしさはすでにいくつかが載っていますし、これからも別の料理のことをホームページに書いてくれるのではないかと思います。

さて、私の料理の考え方を書きます。一言で書くと、「お酒に合わせた料理」です。とくに、ワイン(白と赤)や日本酒の味にどういう料理が合うかを考えて作ります。でも所詮素人ですから、むりくりそう思う、あるいはそう思わせる(食べさせる人に対して)、って感じです。お酒と料理の相性を考えるのは楽しいです。では、始めます。 

 

今日紹介する料理は多人数向けのパーティ料理で、手早く(少し手を抜いて?)、お値打ちに作ったものである。その意味では、皆さんも作りやすいのではないかと思う。

まずは、野菜料理から紹介する。最初は「もやしサラダ」。盛り付けでいろいろ乗っているが主役はもやしである。  もやしは、まず熱湯で1分保持後、水洗し、ザルで水をよく切って、ごま油とそば出汁とカンタン酢で和える。分量は少なめ少なめに加えていって味見していくとよい。パプリカ(赤と黄色)とキュウリは3センチくらいの棒状にきり(はしでつかみやすい)、塩であえて水分を少し抜きカンタン酢で和える(ピクルス風)。こんにゃくは湯引きして冷やしてやはり3センチくらいの棒状に切る。周りにあるブロッコリ(加熱)、プチトマト(生)、モッツアレラチーズは、ワイン向けのサラダに仕上げるためである。青豆はちょっと手間がかかる(圧力鍋でほどよく加熱)が、豆の中で最もサラダに合う。まあ、ここまでしなくても、もやしのサラダはとても手ごろである。よく冷やした白ワインでどうぞ。

次は「カボチャのバルサミコ酢和え」。カボチャは、まず皮をたわしで良く洗い、種を除いて、2センチ角くらいの大きさ(ブロック)に切って、皮は粗く切り分ける。まず、皮だけオリーブ油と白ワインをかけて電子レンジで加熱する。次にカボチャのブロックをオリーブ油と白ワインをかけて電子レンジにかける。3分くらいを2回すると柔らかくなる(串を刺して確かめる)。熱いうちにバルサミコ酢とワイン、砂糖少々で味を仕上げる。ほんとカボチャが美味しいのでお試しあれ。バルサミコ酢の上品さが分かると思う。あとは盛り付けで、この写真ではパプリカの千切り、ブロッコリ、鶏ひき肉の団子が乗っているが、それらは脇役。白ワインでも、軽めの赤ワインでも良い。

次は魚料理。まず「タイとサーモンのカルパッチョ」。  タイもサーモンもスーパーで良いので、さく(かたまり)で買うこと。それをまず、塩を軽く振って、キッチンペーパーに包んで冷蔵庫で冷やしておく。こうすると、少し臭みが取れて、かつ身が締まって切りやすくなる。ハープとか葉野菜とかをしいて、薄く切って並べる(散らす)。塩、コショウ、オリーブ油、白ワインをかける。食べる前にレモンを絞る。簡単でしょ。白ワインにばっちり。まあ、パーティに出すと、真っ先になくなる料理の一つ。

タイ
サーモン

次の魚は「カツオのたたき」。できるだけ活きのいいのを、やはりさくで買う。塩を振って、クッキングペーパーで包んでおく。これを、金刺(34本)で指して、バーナーであぶる。その後は、冷水で冷やして、水を切って、クッキングペーパーに包んで、冷蔵庫に入れる。この間に薬味の野菜を刻む。ミョウガ、かいわれ大根、ショウガ、シソ、細長ネギなどが良い。そして、ニンニクを生のまま、薄くスライスする。たれは、そばつゆ、白だし、カツオだし、カンタン酢、しょうゆなどを混ぜて作って冷やしてく。少し大きめの皿を用意し、カツオを、1センチくらいの厚めに切り、並べていく。ニンニクスライスを一つ一つのせていく。その上に、刻んだ野菜をかける。食べる前に、たれを全体にかける。まあ、かなり手間がかかるが、それだけ美味しい。白ワイン、日本酒にとても合う。赤ワインでも軽めの冷やしたものでも良い。

最後は「鶏肉のローズマリー焼き」。もも肉を買ってきて、皮は剥がさず2センチ角くらいに切る、上下に塩、コショウを振る。長ネギも2センチに切る、要するに焼き鳥のねぎまをする感じ。耐熱容器を使って、ガスコンロの両面焼きグリル、あるいはオーブンを使う。グリル(耐熱)容器に、鶏肉は皮を上に、長ネギと交互に並べる、容器がない場合にはアルミホイールを二重にして受け皿のようにしてもできる(汁がこぼれないように注意)。火加減とか時間は器具によって違うので指定できないが、皮がこんがり焼けるのと中まで火が通ることを満たす必要がある。表面が焦げすぎるようなら、アルミホイールで覆うと良い。ほぼ火が通ったと判断したら、ローズマリーを載せて、23分焼いて香りを載せる。ローズマリーの焼けた香りが食欲あるいはワイン欲を刺激する。軽めか中程度の赤ワインがいいです、ピノノワール(仏)、サンジョベーゼ(伊)、メルロー(米)などのぶどう種。グリルに残った汁は捨てないで、スープとして使って欲しい。

※最後の二つの料理の写真は、すでにこのホームページに載っている(過去のOB会活動)。小川先輩方が20186月に仙台の拙宅の庭で食事会をしたときに作った。仙台牛のステーキ(小片?)もお出しした。

 

次回(その2)はいつになるか分かりませんが、今回(パーティ料理)よりはもう少し手の凝った「お酒に合わせる料理」を書きたいと思っています。では、今回はこれで終わります。

2022年2月掲載

         ボッカ駅伝競走大会    
                              昭和56年卒 天明宏之

S56年卒業の天明です。現在、幹事長を仰せつかって3年目になります。今日は自分の趣味というか週末の活動について拙文ながら紹介させていただきます。

開成卒業後は大学で4年間バレーボールをやりましたが、その後は会社のレクリエーションで年に一回ボールを触る程度、それもここ10年位は遠ざかっており、2年前の麻布との定期戦が最後です。

その替わりといいますか、最近は日帰り山歩き(壁登りとか雪山は怖いので行きません)を楽しんでいます。なかでも毎年6月に丹沢(神奈川県)の大倉尾根(通称;バカ尾根)で催される『ボッカ駅伝競走大会』には2016年から2019年の4回参加しています(2020年と2021年はコロナで中止)。

これは登山口(標高290m)から花立山荘(標高1,300m)までを登る4人/チームリレーで全部で数十チームが出場します。但し、襷の代わりに20Kgの砂利の入った袋を背負います(写真右)。普通の登山者が約3時間かかるところをその約半分の時間で駆け上がります。もちろん誰でもすぐに出来るわけではなく、数か月前から軽重量での階段昇降などの練習を行い、大会前には本番コースでの実践練習も行います。そして担ぎ上げた砂利は登山道整備に使われます。20Kg(一般)の他に10Kg(女性のみ)と40Kg(強者向け)の部門もあります。心肺はバクバク状態になり、脚も思うように上がらなくなりますが、一人当たりの時間は2030分程度ですし、昔バレー部で鍛えられましたので何とかなります。砂利を積んだ背負子を次の人に渡す(実際には係の方が両方から支えてくれるので本人は手と肩を抜くだけなのですが)と本当にその場に倒れこんでしまいます。でも達成感と、レース後のチームメンバーとの反省会(当然、搔いた汗以上のビールを地元料理をつまみに飲むのですが・・・)が何よりの楽しみです。

 もうひとつ似たような大会では、飯島町(長野県)で行われた『米俵マラソン』というのに参加したことがあります。これは10Kgの米俵(写真中;実際の中身は砂)を背負って10Kmをランニングするというレース。タイムは60分ちょうどだったかな。完走賞はその重量分(10Kg)の新米です。

こうやって書くと、Mではないかと勘違いされそうですが、そんなことは無くて、普段は右の写真のようにいたって普通の格好で、山歩きを楽しんでいます。まだまだ体力は(耐力も?)あるので、山の中でも走れるところは走っちゃったりしますので、普通の登山者よりはペースは速いです。

今、世間ではコロナがなかなか収束せず、公の場ではマスクが欠かせません。でも近場の山であったり、郊外の遊歩道や森に行くとほとんど人には会わないのでマスクを外して散歩が出来ます。また同じ場所でも四季それぞれに異なる景色を楽しむことも出来ます。みなさん、今度の週末はちょっと郊外にでも出かけてみてはいかがでしょうか。

スパイスカレー2

                                                                                                                    昭和49年卒  清水淳一

 

 事務局から、市販のルーを使わず比較的簡単に入手できるスパイスを使用したカレーレシピ紹介依頼がありました。
 当方が好む南インドのカレーは、若干入手しにくいスパイスが味の基本となるので、ここではスーパーで購入可能なスパイスを使用した北インドのベーシックなカレー2品を紹介します。とは言え、今はネットでいくらでもレシピ検索できますし、調理方法も詳細動画がアップされていますので、ここでは当方が普段注意している点を含めて記します。

 スパイスカレーで使用するスパイスには大きく2種類、ホール・スパイスとパウダー・スパイスがあります。粉状であるパウダー・スパイスは、例えば赤缶で有名なSBカレー缶のように、普段使う機会が比較的ありますが、固形であるホール・スパイスの多くは限られた用途でしか使われていません。スパイスカレー作りに馴染むにはそれぞれのスパイスの特徴を知り、特にホール・スパイスの使い方に慣れることがポイントと感じています。

 

【ダールカレー】豆カレー

 先ずスパイスカレー定番の挽き割り豆(ダール)カレー。これは辛い物が苦手な方でも食べやすく、体に優しく栄養価が高いので、スパイスカレー入門としておススメです。北インドのカレーと記しましたが、ダールカレー自体はインド全土で食べられており、ここでは最もベーシックな味のレシピを記載しています。また豆として、レンズ豆の挽き割り(マスルダール)を使用していますが、いくつかの豆(*)を混ぜても美味しいです。また、これらの豆はスパイス的に使われることもあります。

  (*)例えば、緑豆の挽き割り(ムングダール)、  黄豆の挽き割り(トゥ-ルダール) 、
       
 ウラド豆の挽き割り(ウラドダール)

 

<材料>4人分

レンズ豆の挽き割り:1カップ  ニンニク:1片  トマト:1/2個  しし唐:4本 
塩:小さじ2  サラダ油:大さじ2  バター:大さじ2  玉ねぎ:1/4

[ホールスパイス] 赤唐辛子(鷹の爪)1本  クミンシード:小さじ1

[パウダースパイス] ターメリック:小さじ1/4  レッドペッパー(カイエンペッパー):小さじ1/4

 

<手順>

①鍋にダールを入れ、豆より2cmほど高い位置まで水を入れ、中火で煮始める。沸騰したら少し火を
弱めて豆の粒が簡単につぶれるまで柔らかく煮る。この間、豆が水分を含んでふくらみ水が減るので、煮詰まりしないように適宜水を入れる(差し水)

②柔らかくなるまで30分程度かかるが、時短したい場合は、ポテトをつぶすために使うマッシャー
(Y字型金属製)があれば、それを使って鍋内の豆をつぶす。

③豆がつぶれてトロトロ(ゆるめのポタージュ状)になったら弱火にして、パウダースパイス(2)
みじん切りしたニンニク、粗みじん切りしたトマト、小口切りしたしし唐を加え、焦げないように
かき混ぜながらさらに数分煮る。その間煮詰まりそうになったら、適宜差し水して濃度を調整する。

④火を止めて、塩を加えかき混ぜて調味する。
 (この段階でも素朴な豆カレーは出来上がりだが、コクが不足)

⑤別にフライパンか小鍋を用意し、サラダ油を入れて火にかける。

⑥弱火にして、赤唐辛子(鷹の爪)、クミンシードを入れる。

⑦焦がさないようにゆっくりかき混ぜていると、クミンシードのいい香りがしてくる。

⑧クミンシードの色が少し濃くなったら、みじん切りにした玉ねぎとバターを入れる。

⑨ゆっくりかき混ぜて、玉ねぎが少し色づいたところで、フライパンの中味を全て④のダールの鍋に
 投入する。

このように、ホールスパイスの香りを油に移した後鍋に投入するやり方を"テンパリング"という。
中華料理で、ネギ・生姜・ニンニクの香りを油に移す葱油、イタリアン/スパニッシュ料理で、
ニンニクの香りをオリーブ油に移すのと同じですね。

⑩ダールの鍋全体を混ぜた後、弱火で10分ほど煮込む。時々かき混ぜて焦がさないように。
 濃すぎる場合は、適宜差し水により「ゆるめのポタージュ」状を保つ。

⑪最後に、味見により塩を調節し出来上がり。お好みで刻んだ香菜(パクチー)を散らす。

 

<ポイント>

(1)作ってから時間が経過すると、水分蒸発や油脂分固化により濃度(粘度)が増します。その場合は
 あわてずに、鍋を弱火にかけるとゆるくなります。それでも濃く感じる場合は、少し水を加えて
 調整します。なお温め直す際には、必ずかき混ぜながら焦がさないように。

(2)塩はで全量入れずに、最後に好みの味に調整。

(3)テンパリングに使用するバターの量はお好みで増減を。多い方が美味しく感じますが、体脂肪と
 相談を。

(4)辛いモノが好きな方、苦手な方は、レッドペッパー(カイエンペッパー)の増減で調節してください。

         ダールカレー             レンズ豆挽き割りとクミンシード

【チキンカレー】

 次も定番のチキンカレー。こちらも様々なレシピがありますが、ここではよく炒めた玉ねぎとトマトを使ったシンプルなチキンカレーを紹介します。

 

<材料>4人分

皮なし鶏もも肉:400g   玉ねぎ:1個   ニンニク:1片   ショウガ:1片 
トマト缶(ホール):カップ1   
しし唐:4本 香菜(パクチー):適量    サラダ油:大さじ3 塩:小さじ2 水:2カップ

[ホールスパイス] グリーンカルダモン:4粒  シナモンスティック:3cm  クローブ:2粒 
        ブラックペッパー:10粒    ベイリーフ:1

[パウダースパイス] ターメリック:小さじ1/2  レッドペッパー(カイエンペッパー):小さじ1/2 
         コリアンダーパウダー:小さじ2   ガラムマサラ:小さじ1

 

<手順>

①鍋にサラダ油を入れて中火にし、ホールスパイスを入れる。(テンパリング)

②スパイスからいい香りがしてきたら、薄切りにした玉ねぎを入れて黄金色に色づくまで、焦がさない
 ようによく炒める。

③ニンニクとショウガはすりおろし、合わせて大さじ1程度用意する。
 (ジンジャーガーリックペースト)

④弱火にして、③を鍋に投入する。

⑤小口切りにしたしし唐、トマト缶(ホール)、刻んだ香菜(パクチー)を加え中火にし、トマトをつぶす
 ようにかき混ぜながら5分ほど炒める。なお、しし唐の代わりにピーマン1個細切り、トマト缶(ホー
 ル)の代わりにトマト2個粗みじん切りを使ってもよい。

⑥弱火にして、ガラムマサラ以外のパウダースパイスと塩をいれた後、再び中火にして水1カップを
 入れてかき混ぜながら3分ほど煮込む。これでチキンカレー用マサラ(グレービーソース)が出来
 上がり。

⑦一口サイズに切った鶏肉を入れて、かき混ぜながら鶏肉表面が白くなるまで中火で炒める。

⑧残りの水1カップを入れて、鍋のふたをして10分ほど煮込んだら、ガラムマサラを加える。

⑨ふたを取って、好みのトロみがでるまで煮込み、塩加減を調節して出来上がり。

スパイスすり鉢

<ポイント>

(1)ホールスパイスもパウダースパイスも、よく火にかけて
 香りを引き出し、鶏肉と合わせて馴染ませます。

(2)仕上げに入れるガラムマサラは、香りが飛びやすい
 スパイスをミックスしたものなので、早めに投入すると
 香りが落ちてしまうので注意。 香りづけ用としては、
 ガラムマサラの代わりに、このレシピのホールスパイス
 として使用したグリーンカルダモンとブラックペッパー
 を、小さいすり鉢等で粗挽きにしたもの小さじ1を仕上げに
 入れると、一瞬プロの世界に近づいたかのような錯覚を楽しめます。

(3)スパイスカレーは作った当日よりも、和食の煮物同様、一晩置いた翌日の方が味が全体に
 馴染んで、より深い味(コク)が楽しめるように感じます。

         チキンカレー           (左上から時計回りに)  グリーンカルダモン、 
                             
シナモンスティック、
ブラックペッパー、クローブ

 今回ご紹介したレシピは、極めてベーシックなものなので、一旦コツさえつかめば、あとはお好みに応じて色々なバリエーション展開が可能です。市販のカレールーは、動物性脂肪や塩分を多く含むため、体を気にする方には、スパイスカレーがおススメです。当方もインドで現地飯にはまってからは、市販のルーは使わなくなりました。またスパイス類の多くが体調管理に有効であることも分かっており(ex. アーユルヴェーダ)、個人的にもボケ防止に役立つのではと秘かに期待しています。

  皆様方におかれても、自分好みのスパイスや組み合わせを見つけ、スパイスの奥深い世界を楽しみながら、コロナに負けず、これからの暑い季節を乗り切られますように・・・   Nandri  !!!

「食」との関わり 
~料理で拓く「本生」~

第二部 料理から派生したボランティア活動

       昭和49年卒 清水淳一

 

 

                  

 

第一部よりつづく。 

 一昨年サラリーマン稼業を終了し、晴れて平日も鍋を振ることが出来るようになり、現在は週4~5日程度は料理している。当方が「自分は料理が趣味です。週末は料理したいので、ゴルフはしません。家内もGolf widowにはなりたくないので」と話すと、国内外の友人は「あなたの奥さんは幸せだ」と言って納得してくれるので、もっぱらこのフレーズを多用してきたが、家内がどう感じているかはさだかではない。現在は、娘達が家を出て、家内と2人きりの食卓なので量は抑えるものの、つい小鉢等品数多く作ってしまう。そんな作り過ぎを戒めるべく、時々土井善晴著「一汁一菜でいいという提案」を読み返している。本書に関しては、一汁一菜(ご飯と具沢山の味噌汁) ではなく、一汁三菜とすべき等の反対意見もあるようだが、何よりも本書にあふれる料理や食材の扱いに関する著者の深い想いからは、料理書というより哲学書を読んでいるような気分になる。同様に、スパイス使いに疲れた際には、村上百代著「二十四節気に合わせ心と体を美しく整える」が美しい挿し絵と共に、一服の清涼剤となる。

 仕事リタイヤ後は「食」に関わる事がしたかったので、「食育」「こども食堂」等色々探したが、近所に適当な場所が見つからなかった。ある日新聞に「食品ロス削減」に関わる記事を見つけ、「フードバンク」という活動があることを知ったので、ネット検索して最初にヒットしたフードバンクにアクセスし、ボランティアとして登録/参加した。この団体は20年ほど前に日本で最初にできたフードバンクで、社会貢献活動が盛んな米国出身の創設者のもと、幅広い活動を行っている。なかでも、通常のフードバンクの活動であるスーパー等から届いた賞味期限間近の食材を仕分けし、受け取りに来た人々に手渡す活動(=フードパントリ)に加え、集まった食材を使ってシングルマザーや学習支援施設向けに弁当を作って届けるという活動を行っている。「食品ロス削減」に貢献しながら「こどもの貧困対策」にも寄与するという意義に共感したのでこの活動(弁当作り)に加わった。現在は常連(レギュラーメンバー) として、他のボランティア(最大8)と一緒に、毎回弁当250食程度作っている。メンバーの約半分は初めての参加者で、かつ外国人である。不慣れな参加者も巻き込みながら、3時間でこれだけの弁当を作るのは毎回戦場のような慌ただしさだが、国籍・年代問わず色々な人々と話しながら、共同作業を進めるのは刺激的だ。ある時、1人で参加していた男子高校生(2)と話したが、食品ロス削減に貢献したいという想いを聞いて、その年齢での問題意識と志の高さに感心した。因みに、弁当のレシピは、当日のお昼にスーパー等から届いた食材を見て、管理栄養士のスタッフがその場で決めるという、悩んでいる時間は無い反射神経勝負の世界。最近は届いた食材を前にして、当方がレシピの相談を受けることも増えてきたが、なによりも業務用の巨大な鍋を使った調理は結構な力仕事で、「皆さんはいつでも給食配給会社で働けます」と管理栄養士スタッフから言われたので、今後再就職の際は参考にしたい。

 

フードバンクキッチンでボランティア仲間と

 また地元(三鷹市)の広報誌に、高齢者向け弁当作りのボランティア団体がメンバー募集していたので、リーダーに連絡し見学後加入した。こちらも20年くらい前に発足したボランティア団体で、市のバックアップを受けて、市内高齢者向けに弁当を作り届けている。(見守りを兼ねる)メンバーは当方以外全員女性で、かつ全員後期高齢者という凄い環境で、4人で1グループ、4グループ計16人で毎回90食程度作る。平均年齢80歳近く、90歳以上が3人という人生経験豊富かつ料理の腕に自信があるツワモノお婆さん集団の迫力は圧巻の一語。高齢のため足元が危なげなメンバーも何人かいるが、全員言いたい事を言いまくって元気いっぱいで志が高く圧倒される。元気な高齢者が、困っている高齢者を助けるという、「老々介護」ならぬ「老々共助」である。メンバー全員が女性という想定外の環境だったので、加入前に家内の母親(84)にアドバイスを求めたところ、「優しく接してあげて!」と言われたので、加入後は決して自分から料理が得意等は言わずに、おとなしく指示に従っていた。彼女達にとっては、そのようなグループに男一人で入ってくるのは珍しかったのか、「仕事は辞めたのか?男の料理教室でも行ったのか?」とうるさく聞かれたり、「ちょっとそこのお兄さん、手伝って!」「もっとマヨネーズを入れろ!」等、あごで使われることも多かったが、今では当方の料理についても認められて、毎月行われる献立会議にも参加するよう言われている。写真は、先月当方が考案した弁当で、・海老とブロッコリー炒め・厚揚げと根菜の煮物・里芋の酢味噌がけ・春菊の卵とじ・三色なます である。因みにこの高齢者向け弁当は400円で、当方考案メニューでは材料費315円だった。メニューはいわゆるおふくろの味弁当で、400円とは思えぬ大変手間をかけた愛情のこもったもので、前記スピード勝負のフードバンクでの弁当作りとは真逆の世界である。とてもあの歳までやれる自信は全く無いが、当分は人生の大先輩から刺激を受けるつもりだ。この活動の中で、毎月初めに一人の同年配の男性が包丁(14)を研ぎに来てくれる。てっきり研ぎ専門業者と思い、1本当たりの値段を聞いたところ、なんとボランティアで行っているとのこと。IT企業リタイヤ後、大学時代蓄積した機械加工技術を活かして、包丁研ぎで役に立てないか考えていたところ、吉祥寺井之頭公園回りの犬の散歩で出会った武蔵野マダムから包丁研ぎを依頼され、口コミで次々に広まったとのこと。今では、約200の団体・個人から依頼があり、年間約2000本研いでいる、しかも研いだ実績はExcelPCに記録管理されていて、次の研ぐタイミングになると画面でフラグが立ち、自分から各団体・個人に連絡するとのこと。全く世の中には凄い人がいるものだと頭が下がる。この高齢者向け弁当作りの話を家内にすると、「そういう人たちが世の中を支えているのよ」と諭された。

ある日の高齢者向け弁当(@400円)

 地元ではもう1つ、これも市がサポートしているものだが、住民同士助け合いのボランティア活動に参加している。年末の掃除や部屋模様替えのための大型箪笥移動等の単発依頼もあったが、3ヶ月ほど週190歳一人暮らしの女性宅で、掃除(部屋,トイレ,風呂)と昼食作りを行ったことがある。午前中2時間で、掃除をし、その時冷蔵庫にある食材で昼食を作らねばならない。最初は時間内にできるか少々不安だったが、前記フードバンクでの経験を応用して、少々時間を余して完了できた。また、その女性(老婆)との会話が成り立つのかも不安だったが、これも前記の高齢者向け弁当作りボランティア活動での経験が活きたのか世間話(老人話?)でつなぎ、昼食メニューのリクエストをもらうまでになった。どうやら、対老婆力がアップしたようだ。

  ボランティアは仕事リタイヤ後初めての経験で、特に社会貢献を意識していたわけではなく、たまたま「食」がきっかけで入った世界だが、現役時代のしがらみだらけの人間関係とは異なり、同じ想いを持った人々との「緩やかなつながり」が新鮮で心地よい。

  海外特に台湾、東南アジアでの経験からだが、現地友人と付き合っていると、彼らは当方がどこの会社に勤めているか(=看板)ではなく、どんな人物なのかに関心があり、一旦付き合いが始まると、会社という看板に左右されない付き合いが出来ることが多かった。そのような自分の気持ちに素直な、人間的な付き合いがメインの世界にはまるとそれが心地よく、ずっと現地で暮らしたい気持ちにかられると共に、出会う人々の「生きざま」そのものにも関心が向くようになった。そのためか、海外どんな所に行っても飽きることはない。前記の現役最後に担当した事業で、初めてその中国工場に行った際、現地スタッフが空港出口で、当方の名前を書いた紙を持って待っていてくれるはずだったが、なんと現地スタッフが別の清水さんをピックアップしてしまい、当方は空港で1時間近く待つというトラブルがあった。現法社長と遅れて迎えに来た現地スタッフからは平身低頭の詫びがあったが、当方にとっては海外では日常茶飯事のトラブルには慣れていたので、別に驚きも怒りもしなかった。むしろ、現地不慣れと思われるもう一人の清水さんのそそっかしさと不憫さ(彼は現法社長から人違いとの連絡を受けた当方現地スタッフに高速出口で車から降ろされていた!その後は不明)の方が案じられたし、空港で待っている間、当方同様に迎えに来てもらえなかったらしい現地人が電話で延々と怒鳴っているさまを見ている方が面白かった。また、人・車・バイク・牛・犬による渋滞と喧騒が恒常的なインド街中で、行きかう人々を眺めているだけでも、彼らの出身地や生きざまを勝手に想像して飽きることが無かった。そのためか、現役引退後の現在においても、様々な人との出会いには興味が尽きない。

 昔読んだ本に、「仕事をリタイヤした後の時間を、付け足し時間のように『余生』として送るのではなく、本番の人生=『本生』(ほんなま)として、やりたい事を思い切り楽しむ」という記載があり新鮮に感じたが、人生100年時代を迎えた今では普通の感覚に思える。また以前地元で開催された「認知症サポーター養成講座」に参加した際、脳を若返させるには、「新しいことにチャレンジ」「人と会って話をする」「大いに笑う」が大事と聞いた。今後もボランティアに限らず、「食」「料理」「海外」をキーワードに、スパイスの効いた『本生』を満喫していきたい。

 最後に、松原会長より何かレシピを紹介してほしいとの依頼があったので、今の季節に来訪されたお客様には、〆として提供する2品を以下紹介します。

【サンマのつみれ汁】

 サンマは漁獲高激減で、すっかり庶民の魚ではなくなってきましたが、このレシピでは生サンマではなく、解凍品でもオーケーです。つみれ汁と言うとよくイワシを思い浮かべますが、サンマの方がワイルドというか魚味が濃く感じられます。漁師料理なめろうのイメージですね。この汁は、サンマのつみれから出る旨味とこの季節の大根から出る甘味がからみ合い、これを肴に日本酒を呑むといくらでもいけること請け合いです。

 なお、サンマの代わりにイワシで作ると若干上品な味になります。この場合、つなぎとして卵1/2個と小麦粉大さじ1を加えるとよいでしょう。またつみれそのものは、湯通しした後キュウリやわかめと三杯酢で合わせると、汁物ではない別の一品()になります。

<材料>2人分

サンマ:2尾 大根:1/4本 だし:5カップ 長ネギ:1/2本 味噌:大さじ1 塩:小さじ1/2 
酒:大さじ1 醤油:大さじ1

<手順>

①サンマは頭とわたをとって洗い、骨と皮をとった後、細かくきざむ。
②長ネギをきざんで、①のサンマと共にたたいて混ぜる。
③ミンチ状になった②をすり鉢に入れて、味噌を加えてすり混ぜる。
④なべでだしをとり、その中に③をさじで形を整えて落とす。これはさじ2個を使うとやりやすい。形はきれいにしなくても、テキトー(岩々した感じ)の方がワイルドで良い。
⑤中火状態のなべでサンマのつみれが固まってくるので、続けて大根を入れる。大根は乱切りでも薄切りでもよいが、当方は大量に食べられることもあって、薄切りにしている。
⑥ほどなくサンマと大根に火が通り、味付け前ではあるが汁を一口飲むと、すでにサンマのつみれと大根からいいだしがでていることが分かる。そのうえで、塩、酒、醤油を加えるが一度に全て投入せず、少しずつ味見しながら好みの濃さに調整し、ひと煮させて出来上がり。

 

【春菊の菜めし】

 栄養のバランス良く、また彩りも良いので、来客時中華・エスニック主体のメニューであっても、冬~初春には〆の定番としています。桜エビは旬の釜揚げ品でなくとも、乾燥品でオーケーです。上記サンマのつみれ汁と合わせると、立派な「一汁一菜」になります。

<材料>4人分

・米:2カップ 春菊:1ワ 桜エビ(素干し)1(12g入り) 塩:小さじ1 いりごま():大さじ2

<手順>

①通常の水分量で米を炊く。
②なべに湯をたっぷり沸かして、根元の汚れた部分を除いた春菊を入れ、サッと色鮮やかにゆで、すぐに流水にさらして水けを絞る。春菊は最初に茎部分を投入し、30秒後くらいに残りの葉部分を投入し10~20秒後に引き上げる。春菊はすぐに熱が通るのでくれぐれも煮過ぎに注意
③水けを絞った②を細かくきざみ、なべ(フライパン)に入れて中火にかけ、からいりする。はしを使ってほぐしながら水気をとばし、全体がホロホロにほぐれて香りがたってきたらサラダ油を少々ふりからめる。
④③に桜エビを加えていりつけ、塩を加えてカラリといり上げる。
⑤炊き上げたご飯に④を加え、ごまをふって、全体をむらなくよく混ぜ合わせて出来上がり。

         サンマのつみれ汁               春菊の菜飯

                                             吃了?多謝!

「食」との関わり 
~料理で拓く「本生」~

第一部 料理との関わりあれこれ

       昭和49年卒 清水淳一

 

 

                   

 結婚以来、毎週末と来客時の料理を担当してきたので、料理歴としては30年以上になる。 料理をするようになったきっかけはさだかではないが、母は料理が好きではなかった一方、釣り好きの父は釣った魚を自ら捌いていたので父親譲りかもしれない。 結婚後、自分が作った料理を食べた家族やお客様が驚き喜ぶのを見るにつけ、「料理」「食」の世界にはまっていった。 そうした当方の姿を見て育ったせいか、2人の娘特に下の娘は、物心つくまで料理は男がやるものと思っていたふしがある。12年ほど前に当方が山口県に単身赴任することになった際、その旨家族そろった夕食の場で話したところ、誰一人として「お父さん、淋しい」とは言わず、その代わりに下の娘が「えー!それじゃぁ毎週末の料理は誰が作るの?」と叫ぶや、家内が「私が作るしかないじゃない」と若干くやしげにつぶやいていた。その娘達も今では家を出たが、しばしば「お父さんの料理が食べたい」と言っては家に帰ってくる。「おふくろの味」ならぬ「親父の味」かもしれない。 故伊丹十三監督の映画「たんぽぽ」で、死期迫った母親が最後の力を絞ってチャーハンを作り、父親が泣きながら「かあちゃんの作ったチャーハンだ!食え!」と子供たちに言ってかきこんでいる中、母親が死んでいくシーンは忘れ難く、自分もそうなれたら・・・という妄想もわいてくる。 因みに単身赴任したのは瀬戸内海に面した温和な地方都市で、とびきり新鮮な魚、地元朝採れ野菜の宝庫で、これらを使っての料理三昧の3年間は至福の時間だった。 この間、同じく料理好きの松原現OB会長が、出張で福岡に来た際、帰りに当方アパートに寄り、2人でそれぞれ料理を作り合った(料理バトル)ことも忘れ難い。 先ず車で1時間ほどの島で新鮮な魚を買出した後、バトル開始。 松原君は「サヨリのカルパッチョ」と「カサゴ入りブイヤベース」 で、当方は「スペアリブの豆鼓煮込み」。 細身のサヨリを丁寧にさばく松原君の技に感心しながら、ブイヤベース には当方が普段パエリアに使っているサフランを加えて味のサポート。 山口の地酒(五橋,獺祭)とのマリアージュも良く、遅くまで語り明かした。

 料理は役立つ。決して高価な食材を使って豪華な料理を作るのではなく、その時々の旬の食材を使う、その時冷蔵庫にあるものを活用して作る。 どうせ限られたコストで食べるならば、ひと手間かけて、出来るだけ体に優しく、美味しいものをという想いである。 旬や冷蔵庫にある食材にもとづき、あれこれレシピを考えたり、レシピ片手に食材買出しに行くのは、料理を作る時間同様楽しい 。特に野菜は、地元(三鷹市)農家による無人販売所に加え、ウオーキング&サイクリングコースの小平・小金井・国分寺・東村山の販売所で購入する事が多い。 旬の野菜や珍しい野菜について、農家のおじさん、おばさんに生育状況や調理方法を聞く機会があるのも楽しい。 レシピにもよるが、大体午後3時までには厨房に立つ。料理は仕事同様「段取り八分」で、準備(仕込み)が重要。 また魚をさばいたり、肉をたたく等の作業に集中していると、仕事上のアイデアが浮かぶことが多々あった。 そんな当方の顔を見て、よく家内からは「また仕事モードになっている」と冷やかされた。 恐らく調理への集中によって、日頃悩み考えていた課題へのアイデアが突然浮かび上がってきたものと思う。 料理の効用である。

 料理に高じるうちに、「食」全般に関心が広がり、30年ほど前「スローフード」「スローライフ」という言葉が日本でもちらほら聞かれ始めた頃、スローフード協会(本部:イタリア/シチリア島)の東京支部ができたので入会した。 また、13年前に「食生活アドバイザー」という資格を取った際には家内が半ば呆れていた。 ある時、シチリア島からスローフード協会幹部が来日して、地元食材のプレゼン&カクテルパーテイーがあったので参加した。 プレゼン自体は英語音声があったのでよかったが、その後の参加者約60名のパーティーで、自分以外の日本人全員イタリア語が堪能である事を知った際は驚愕した。 どうもイタリア専門家の集まりだったようで、これまで仕事上の失敗は数々経験したが、これほど冷や汗をかいたことはない。

 料理は奥深い。所詮素人包丁だが、フレンチ以外、和食・洋食(イタリア,スペイン等)・中華・エスニック(タイ, ベトナム,インドネシア,インド等)何でも作る。 レパートリーが広がった契機は、1996年から5年間ほど家族帯同でマレーシアに赴任したことにあったと思う。 当時5歳と1歳の娘を抱えての海外生活は、刺激に満ちた夢のような日々だった。 せっかくの限られた海外生活なので、努めて日本人とは交わらず、現地の友人との時間を優先した。 マレー系、中華系、インド系から成る複合民族国家マレーシアは、隣国シンガポール同様料理も多彩で、現地友人との交流を通じてエスニック料理にはまった。 マレーシアに住んでいると、東南アジア地域は国内出張の感覚で容易に移動できるので、しばしば家族で旅行し、遠くはモルディブやモーリシャスまで足を延ばした。 おかげで娘達も国籍、年齢、性別等に関係無く誰とでもコミュニケーションとれるようになり、彼女らの真新しいパスポートに40個のスタンプが押印されたところで、日本へ本帰国となった。 因みに、当方はJALメインに使っているが、定期的に送られてくる搭乗実績によれば、これまでの生涯搭乗実績はちょうど100万マイルで地球約40周とのこと。 特に、サラリーマン最後の7年間に担当した事業で、従来からある中国工場に加え、新たにインドネシア、インド、米国に工場を立ち上げたため、月の半分以上は海外を回っていたことが大きい。 中でもインド工場は、最初に送り込んだ日本人社長が現地に溶け込めず1年で帰国させ、日本在の当方がインド現法社長を兼任し、毎月訪問することになったことがインドにのめりこむきっかけになった。

マレーシア時代(22年前)

インドネシア工場スタッフと12

ジャングルトレッキング(手食)

 インドは面白い。 当方の工場立地は北部デリー近郊から南部バンガロールまで探索した結果、南部のチェンナイ(旧名マドラス)に決めた。 マレーシア等東南アジアにいるインド系は南インド出身者が多いので、馴染みはあったものの、どっぷり現地人との付き合いにはまると、インドの奥深さ(と言っても、公用語が18もある広大なインド全体から見たらほんの一部を垣間見ただけだが)は驚きの連続だった。 顧客は北部デリー郊外が多かったので、デリー空港から車で回ることが多かった。 インドは酷暑のイメージがあるが、東西南北場所によって大きく異なる。 デリーは内陸部なので乾季の5、6月は異常に暑い。 これまで経験した最高値は、ある年の5月に顧客訪問時の45℃だった。 打ち合わせ後、工場正門前で日陰が全く無い炎天下ドライバーを待っていた時の日差しが、肌を刺すように痛かったこと、その後37℃の南部チェンナイに戻ってホッとしたことが忘れられない。 因みに、デリーの1月は朝晩5℃以下にまで冷え込み、海岸近いチェンナイは22℃で快適 という事で体調管理には苦労する。 海外出張時には現地料理しか食べないので、工場食堂でのランチを通じて南インド料理にはまった。 我々外国人用にはスプーンやフォークが用意されているが、やはり郷に入っては郷に従えで、もっぱら現地スタッフに交じって手で食べていた。(手食) こうしてインド料理ばかり食べまくっていると、しだいに噴き出る汗も気のせいかカレーのような臭いがするようになる。 日本の本社から来た社長をアテンドした際にこの話をしたところ、「それこそ本当のカレー臭だね」と言われ、インドにいながら寒気を覚えた。

タージマハルにて

インド工場にて(独立記念日イベント)

 最近でこそ、日本でも南インド料理屋が増えてきたが、従来からあるインド料理屋の多くは北インド系で、油を多用しコッテリしており(ex. バターチキンカリー)、ナンを提供する。 一方、南インド料理は、北よりも比較的油が少なくサラサラしており、主に米と共に食すので、齢重ねた身としては断然南インド料理の方が好ましい。 よく、インドに来た日本人でお腹をこわしたという話を聞くが、ある商社駐在員の方いわく、「北インド料理(カリー)は食べやすいのでカレー好き日本人はつい食べ過ぎてしまうが、結構な量の油を使っているため、慣れない気候による疲れと料理の油でお腹をこわしてしまう事が多い。 但しどの程度食べると腹をこわすかは、人それぞれ最大値がある」というカリー許容値論を聞いて妙に納得した。 実は、当方はインドでお腹をこわしたことはないが、一度デリーで食べたガーリックシュリンプが大量の油とニンニクを使っていたため、翌日ひどい胸やけに苦しんだ。

南インド定食ミールス(北インドはターリー)

南インド軽食マサラドーサ

 現地で食べた料理を再現すべく、多くのスパイス(マサラ)を現地調達したが、今は大久保等で購入している。 海外訪問するたびにスパイス類を購入したり、当方の料理好きを知っている現地友人からお土産にもらったため、我が家の厨房にはスパイス類が溢れている。 せっせと料理に励んで消費しているものの、家内からは過剰ストックを指摘されることもあり、在庫適正化を使命としてきたメーカ出身者としてはくやしい限り。 スパイス類購入のため大久保周辺をぶらつくと、コリアンタウンとして知られたこの街も、今ではネパール料理屋が幅をきかせていることに気づいた。 前記北インド系料理屋は、実はネパール人が経営していて、北インド料理とネパール料理両方提供する、いわゆるインネパ系が少なくないが、大久保には多数のネパール料理屋が集積している。 ネパール料理は、南インド料理よりもさらにサラサラしていて食べやすく、スパイス好きにはたまらない。 まだネパール料理は餃子に似ている「モモ」以外は作ったことはなく、もっぱら食べる事に専念しているが、今後はネパール食材を購入して料理にトライしたい。 ネパール人と言えば、かつてインド工場スタッフが来日した際、休日に都内見学アテンドし、マツキヨやユニクロで買い物後、遅い昼食のため浅草へ行った。 折角なので日本の味をと「もんじゃ焼き」の店に入り、焼いてくれた店員の名札を見ると日本人ではないので出身を聞くとネパールとのこと。 「もんじゃ焼き」に興味深々だったインド人スタッフも、ネパール人店員とヒンディー語で話し始め、インドでの「もんじゃ焼き」ビジネスの可能性について真面目な顔で議論しているのが可笑しかった。 ここにもグローバルビジネスのネタ?

                                第二部ボランティア編につづく

マラソン全国走破への道と「コロナ時代」  昭和50年卒 市村 幹司郎

                                 

 中学高校大学はバレーボール、会社に入ってからはサッカー・ラグビーと、いわば球技中心の生活
でしたが、6年ほど前から世間のマラソンブームに乗っただけのなんちゃって市民ランナーの端くれ
として、「走れる喜び」を感じている様子をHP開設を機に、駄文ですが、ご紹介しようと思います。

 (1) 市民ランナーとしての活動開始

 2014年ころから会社の若手に触発されて、月1回皇居マラソンなどに参加、といいつつ、実際は
そのあとのビールを美味しく飲みたい一心でジョギングを開始。 その12月に恐る恐る初めてのフル
マラソンとして宮崎県の「青島太平洋マラソン」に参加。 完走したときの達成感と前後の小旅行と
セットで楽しむことを覚えて以来、15年16年の横浜、神戸・大阪・奈良を経て17年にはついに?10倍以上の倍率といわれる東京マラソンにも参加することができました。

 (2) あこがれのサブ4

 当初の2年は一般的に市民ランナーの夢といわれる、サブ4(フルマラソンの4時間未満完走)達成を目指し横浜2回、四万十桜1回となんとか計3回実現できましたが、一番印象的だったのが4時間1分余りの東京。 「たかが1分、されど1分」よろしく、正に42.195kmの残り195mの分だけ遅れた勘定。
特に残り3キロはなんとか全力を尽くして、と思ってもどうにも足が進まない、あの感触はいまでも脳裏に浮かびます。
 その後残念ながら加齢とともにスピードを追求することはかなわず、以後は「走れる喜び」をかみしめるため、しっかり携帯カメラで撮影に勤しみつつハーフマラソン以上の大会で全都道府県走破を目指すこととしました。

 (3) 全都道府県走破への道

 ちょうど還暦(!)を迎えるころだったので「第二の人生をいかに過ごすか?」「退職金の有効活用は?」などを考えるに当たり、いまだ足を踏み入れたことのない県も多数あったので全都道府県走破を目標とし、それぞれの大会前後に小旅行を組み合わせる活動を開始。なんとか昨年末までに福岡県を残して46都道府県を完走することができました。 

(4) 大会参加の醍醐味

 上記の通り、いまやスピードは度外視ですが、スタート前の緊張感、レース中のエイド(飲み物や軽食)の楽しみや沿道の応援、有名選手とのハイタッチ、ゴール後の達成感とおもてなし、など大会参加の醍醐味には枚挙にいとまがありません。
 いまでもスタート後2〜3キロ地点や上り坂では、なぜつらい思いをしてまで走るのか、逆に残る2〜3キロ地点ではできる限りのスパートはできるか、などといろいろな思いが駆け巡るのも大会に参加して初めてできる経験と言えます。

201612月那覇マラソン。ゴール直後の大歓迎。

20178月五島列島ゆうやけマラソン。ゴール後五島牛のおもてなし。

(5) 印象的な大会

 ハーフマラソン以上の大会実施の少ない県もあり、また開催日は主に日曜日であるため毎回自宅からの往復が必要なことなどから思った以上に達成までには時間と費用がかかります。 ただ、それぞれの大会は地元ならではのコース取りや応援を始めとするおもてなしに腐心されており、それぞれ思い出深いものばかりです。そんななかでも特に印象的だったところをご紹介したいと思います。

  島
  「島」で開催される大会としては 長崎県上五島、対馬、小豆島、佐渡に加え、稚内マラソンで
  訪れた利尻・礼文など、どれも貴重な体験。
上五島では隠れキリシタンの文化、対馬では「国境の
  島」としてハングル文字の道路
標識(稚内ではロシア語)や朝鮮通信使の歴史、35年ぶりの小豆島
  では「島の分校」の
変貌、佐渡ではトキの優美な飛翔、利尻・礼文では美しい花々と久しぶりの
  天の川
などなど、、、。

20187月 対馬国境マラソン。 島の純血種「対馬馬」に跨った警官と。

  きつい上り坂などの精神修養の場

  エイド以外では歩かないことを目標にしていたものの、さすがにきつい坂がだらだら続くコース
  
ではむしろ歩いたほうが早かったり(!)、疲れてくると下り坂までつらくなる、そういう思いを
  しつつも、逆に印象に残る大会になります。
  
なお、自然の坂のみならず、陸橋を含む橋などもボディブローのように後で脚に効いてくる、厄介
  な代物です。また、スタート・ゴールが同じ地点なら上り坂と
下り坂の数は基本同じはずなのに、
  上り坂のほうが長く、多かったという印象が
強いのも不思議(ある意味当然?)です。
 
 例えば坂の町としても有名な函館や開聞岳などを巡る鹿児島指宿(いぶすき)や奈良、伊万里は
  やむを得ないとしても、意外にも横浜マラソンの「売り」の首都高の
バンクや海ほたるでアクア
  マリンを折り返すコースも素晴らしい景観とは裏腹に、
車の通行では経験できない辛さでした。
  
また、いったんゴール前を通過してからなかなか折り返しが来ないコース取りの青島太平洋や湘南
  国際も精神修養の場になりました。その究極は遠く樺太を望む宗谷岬
からスタートし、直後から
  はるか遠くに見える稚内のゴールを目指ざすもので、
40キロという距離を実感しながら、かつ
  ゴールをいったん通り越す稚内は、最北端とは
言え、夏盛りで、、、、辛かったけれど、楽しかっ
  たぁ。

20199月稚内。対岸に遠く見える町がゴール地点。あと残り40キロ!

  土地土地のソウルフード

  「ところ変われば品変わる」の言葉通り、日本は狭いどころか、豊かな食文化に触れることも醍醐
  味のひとつ。
「名物に旨いものなし」には反対デス。
  
一番印象的だったのは、対馬の居酒屋で突き出しに出された「カメノテ」。
  食べ方も
わからず、、、。 かの地では子供のおやつ代わりでもあるということです。
  
そのほか、鹿児島のウツボのから揚げ、熊本の馬肉の寿司、福山「うずみめし」(12品目の具が
  ご飯の下にあり、だし汁でいただく)
青森十三湖のしじみラーメンなどなど、こちらも枚挙に
  いとまなし。
  
留守番の家族への罪滅ぼしに?その土地の名産や銘菓をお土産にすることも楽しみにしています。

20187月 対馬「カメノテ」 塩ゆでしてありました。

④ ミーハー的には有名選手らと記念撮影やハイタッチ

  大阪で高橋尚子、伊勢では地元出身の野口みずき、奈良・安曇野では有森裕子、福山では元箱根
  駅伝で名を馳せた元祖山の神、柏原竜二らとハイタッチのチャンスに恵ま
れ、さらに運がよければ
  記念撮影も。 このほか地元出身ランナーがゲストに呼ばれる
ことが多いので、青森五所川原では
  福士加代子、福井越前大野で赤井陽子らに会うこ
ともできました。
  
さらにはゲストの女優さんらを見かけることもできます。 例えば神戸の藤原紀香、横浜で剛力彩
  芽、熊本では石川さゆりとくまモン、金沢では
元なでしこジャパンの丸山桂里奈、、、更には京都
  では舞子はんと。
 失礼しました。いい年をしてミーハーで。   

201812月伊勢。地元出身アテネ五輪金メダリスト野口みずきさんとハイタッチ

20192月熊本マラソン

(6) そしてボランティア活動へ

  大会毎に献身的なボランティアにお世話になってきたので、少しでも恩返しに、と3年ほど前からスポーツボランティアとして、東京マラソンを皮切りに横浜マラソンを始め 小規模大会のボランティアのほか、2年ほど前からJリーグ・日産横浜スタジアムやBリーグ・横浜ビー・コルセアーズの公式試合のボランティアも始めましたが、コロナ禍の影響でボランティア活動も休止状態です。
 
そんななか、なんといっても参加予定だった東京オリンピック・パラリンピックが延期になってしまい、心にぽっかり穴があいたようになっています。
 
でも代表選手のみなさんの無念さには比較になりませんが。
 
いまはただ、来年無事に開催できることを祈っているところです。

 

(7) コロナが収束するまでは、、、

  昨年末までに46都道府県を完走し、3月の福岡・小郡ハーフマラソンを完走すれば東京オリンピックまでに達成、と目論んでいたのですが、残念ながら中止となってしまい、現状全国的に開催が見通せない状況であるのはご承知のことと思います。
 また、海外駐在経験のあるシンガポールとロンドンでもぜひフルマラソン参加を、ということで、
シンガポールは
1812月に実現できたものの、今年5月開催予定のロンドンは10月に延期となっていますが、実施はさすがに難しい状況だろうと、悲観しています。
 今はジム通いも控えているので、近隣の遊歩道など、3〜5キロを週4〜5度、運動不足にならないようにジョッギングを続け、47県めを走破できるよう備えているところですが、この夏の暑さのなかマスクをしながらでは身にこたえますね。


 OBチームのみなさんはもちろんのこと、現役のみなさんには学業はもちろん、練習や試合にも種々支障が出て、大変な思いをしていることと思います。
 
コロナ前の当たり前の生活がいかにありがたいものだったかを痛感しつつ、今個人としてできる対策を地道に続ける毎日です。
 
コロナ疲れも言われますが、開成魂で乗り切りましょう!!

201812月シンガポールマラソン。 ゴール間近も、ただただ暑い!

(8) コロナ収束後のリレーマラソン参加のお誘い

  バレー部OB会の一員としてはお誘いしにくいところですが、5年ほど前から開成の同期と1年下の仲間を中心にフルマラソンリレーの大会に年数回参加しています。
 個人で走るのとはまた別の連帯感が生まれ、レース後の打ち上げのビールの味もまた格別です。  (その後この活動とは別に「開成走友会」にもこの仲間とともに参加し、トレイル中心に活動して
いる天明幹事長もときどき参加してくれています。)

 リレーマラソンはおよそ1区間1.53キロの周回コースを巡り、適宜たすきをつなぐものですが、
最低1区間だけ走ればいいので、長距離はどうも、と敬遠される方でも楽しめると思います。
 コロナ収束後となりますが、もしご興味あれば、ぜひご一緒に。
 ときに名選手もゲストで呼ばれており、気軽に記念撮影にも応じてくれますよ!

20179月横浜赤レンガ倉庫リレーマラソン大会で瀬古さんと