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バレーボール部とOB会の歩み
開成会会報(第136号、創立150周年記念特集Vol.2、令和5年6月)より転載

松原 秀彰(昭和49年卒)

開成学園バレーボール部(以下バレー部と略記)の創立は、昭和20年の終戦から2年後の昭和22年であり、本年は76年目である。バレー部の最初の卒業生は昭和24年卒の出野寛二(敬称略)で、その後は昭和25年卒の大滝利尚、昭和26年卒の吉村功ら5人、昭和27年卒の渡辺泰ら5人と続く。占領政策から球技等のスポーツ振興が進められ、その中で施設や用具が比較的簡単で安く、手軽にゲームができるスポーツとしてバレーが推奨されたらしい。創部の労をとられたのは、岩谷先生と出野であったと70年史に書かれている。創部と同じ22年には新制中学・高校となり、中学と高校が一緒に練習し、高校生が中学生にバレーを教えるという開成の教育の特長が実現していたと思う。

昭和25年当時のユニフォーム姿

昭和25年頃には部員も順調に増え続け、2030名程度の立派なクラブになっている。この頃のバレーは屋外で土のコートにネットを張って練習するので、天候に左右されただろうし、練習着やボールもすぐに汚れたと思う。そしてユニフォームを来て対外試合をするようになるとチームとしての一体感が生まれる。昭和25年当時のユニフォーム姿の写真では、若々しさと、落ち着きが感じられる。この頃の試合はすべて9人制であり、背の高い選手からそうでない選手が一緒に一つの球をつないでいくという、なかなか当時としてやっていて面白い競技ではなかったかと思う。70年史、40年史等の中には、創部時の楽しい想い出等が綴られている。

 バレー部と言えば、顧問の中村博次先生のことを書かない訳にはいかない(中村先生追悼文集を参照)。日本体育大学のバレーボール部出身で、昭和34年に開成の体育教師とバレー部顧問となった。バレー部の生徒たちがすぐに中村先生の指導に従ったわけではないようである。それまでの方針では、生徒の自主性に任せてのびのびとバレーを楽しんでいたのだが、中村先生になると方針は一新された。とにかく中村先生は、何事にも関わってきて、「お前たちのやっていることはバレーボールじゃない」などと厳しかった。流石にバレーの専門家(日体大のバックセンター)だけあって、とくにレシーブの指導は抜群であった。やってくる緩急のボールに対して、身体の角度、姿勢、腕の締まり具合、球の誘導の仕方など、バレーの基本と応用が徹底的に理論化されていた。アタック、サーブ、ブロック、トスなどについても、懇切丁寧というか、口うるさかった。先生は、開成の仕事と並行して、国際審判員の資格も取るなど、たいへんな努力家であった。平成13年に67才の若さで他界されたが、開成の教師とバレー部顧問として43年間、その影響力の大きさは計り知れない。先生の強烈な個性はいまでも我々の心の中に生き続けている。

桑田ら(昭和45年卒)の学年と中村先生

中村先生のお陰でバレー部のレベル(戦績)は確実に上がった。そのピークは桑田らの学年(昭和45年卒)の時、東京都ベスト4と言う輝かしい戦績に現れた。この学年は高2、高3と連続して関東大会に出場した。関東大会は東京都から12校出場できることになっているが、関東大会予選でベスト16に入った高校の中から追加の試合で決定される(かつては前後の実績)。東京都でバレーをしている高校は約250校あり、4回勝ち進まないとベスト16に入れない。その後、関東大会には、松原ら(昭和49年卒)、井口ら(平成14年卒)が出場している。ベスト16にはなったが関東大会に行けなった学年もある(昭49卒の高2、平13卒、平17卒など)。ここしばらく果たせていないので、OB会はそれを心待ちにしている。なお、9人制の時代では、吉村の学年(昭和26年卒)を中心としたチームが東京都ベスト4および関東大会出場を、西山ら(昭和41年卒)が関東大会出場を果たしている。

中学の戦績もいろいろあるはずだが、あまり記録が残っていない。松原の学年(昭和49年卒)は中3の時、東京でベスト8まで勝ち進んだ。あとは中学時代は私学大会があり、開成中学は何回か優勝している。

練習場所の変遷に触れておきたい。昭和46年までは屋外であった。高校校舎の前、山の上のグランド、中学のアスファルトコートであった。昭和46年に待望の体育館が完成し、高校は体育館での練習が定常となった。令和3年、新体育館ができ、中高ともやっと屋内の練習が普通にできるようになったのである。

OB会の設立と活動について説明する。OB(卒業生)が発生した時点でOB会スタートとしても良いと思うが(それだと昭和24年)、複数の学年のOBが定期的に集まって会としての体裁を整えた時を、古参のOBにヒアリングしてOB会創立の年を昭和33年と最近確定した。中村先生が顧問となることが決まった年であり、OB会としての意思や方針をもつ必要があるので正式に設立された。初代会長は吉村(昭和26年卒)である。現会長は松原(昭和49年卒)で7代目となる。

OB会は会則を持ち、とくに「2条 本会会員相互の親睦を図ると共に開成学園排球部の発展に協力することを目的とする。」を最も基本の考え方として運営を行っている。OB会の運営は、約10人の幹事会を結成し、会長と幹事長が中心となり、会計、広報、連絡などの作業を分担して行なっている。もちろんすべてがボランティアである。ホームページhttp://kaisei.vbob.jpには、OBからの記事や、総会の資料、追悼文集、過去の資料(アーカイブ)などの多くの資料を掲載かつ保管し、ほとんどの資料はOB以外の方でも閲覧できるようにしている。OBの家族、現役や保護者、麻布バレー部OBなどを想定している。

OB会の活動は、春の総会、秋の年度幹事会、3月末の麻布定期戦が三大イベントである。その他、OBチームの参戦(もちろんバレーボール)、懇親ゴルフ、若手中心の新年会練習などが行われている。現役の期間は中高の6年間で終了するが、OBとしての活動(つきあい)は5060年と長く続くのである。現在OB総数は515名である。全員がOB活動に積極的であるとは限らない。基本的にはOB一人一人の意思でOB会活動に参加してくれればよいと思うが、他のクラブでも同様に、どの程度のOBOB会に関心があるのかは大事な問題と思う。会費の納入は、そのバロメーターの一つとなり、当OB会の場合、最近では約4割くらいの会費納入率になっている。もう少し上がって、5割くらいが良いのではないかと感じている。

さてもう一つのOB会の目的である現役への協力であるが、定期的には中高のコーチに対する資金的援助を行っている。不定期的には現役が所望する機器や道具など、あとは現役の臨時出費なども協力対象としている。とにかくOB会は現役のバレー部が何とか存続して欲しいと願っているので、「OB会はもう何でも援助します」という気持ちである。旧顧問の栗原先生、現顧問の奥山先生、宮先生、須藤先生、中西先生には日頃のご指導に対して心から感謝申し上げる。平成29930日に、開成の食堂で、70周年記念祝賀会を行い、多数のOB、顧問の先生方、O現役そして保護者などが一同に集まり、70周年を盛大に祝った。

創部70周年記念祝賀会での集合写真

定期戦パンフレット

 麻布学園バレー部との交流はかなり古くから行われている。昭和34年に開成の文化祭に麻布を招待して交流戦を行ったことは、開成側の芥川(昭和38年卒)と麻布の嶋田(昭和38年卒)がとそれぞれ想い出をホームページに綴っている。下町の開成と山の手の麻布、と当時は校風の違いを意識していたかもしれないが、中高の6年間に何度も試合をして交流すると、まるで同じ学校の生徒同士のような気持ちになるから不思議である。定期戦として正式にスタートしたのは昭和57年である。中学戦、超OB戦、OB戦、高校戦の4試合をやって、3勝した方が、22敗の場合は高校戦に勝った方が優勝ということになっている。今年は、新築された開成の体育館で4月初めに開催される。

開成バレー部およびOB会について、その歩みと概要を述べた。バレーボールでは、どんな形でもいいから球をつないで競技を終わらせないというのが基本である。開成バレー部という大切な球を、若いOBや現役の諸君が途絶えさせずに、今後もずっと引き継いでいって欲しいと思う。
                     
(バレーボール部OB会会長、東北大学特任教授、名誉教授)