会員の活躍

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新型コロナウイルスの感染状況についての考察 (2)

 

 

竹内 雄一

昭和45年卒 

20221月に投稿した新型コロナウイルスの感染状況について、追加の調査結果を報告します。
内容は以下の通りです。 
  1.第6波の感染の推移(感染の発生速度の変化)
  2.第6波での致死率
  3.感染状況の他国との比較

 1.第6波の感染の推移(感染の発生速度の変化)

 感染の発生速度(新規感染者数の7日前との増減)がプラスなら感染が広がっている事になり、マイナスなら感染が減少傾向にあります。

 以下は7日間移動平均の数値を使ったグラフです。1月より急激に感染が広がりましたが、2月中旬以降感染が減少傾向となっています。しかしながら、3月末頃より感染の発生速度がプラスになり現在は、ほぼ横ばい、患者数も横ばい状態となっています。

2.第6波での致死率

 今までの本感染症での致死率の推移をグラフにしました。数値は7日間移動平均の数値を使い、致死率は以下の式で計算してあります。

  致死率=7日間移動平均の死者/2週間前の7日間移動平均患者数   

 2021年5月以降の患者数の推移と、致死率の推移をみると、2021年5月ころよりワクチン接種が進んだ状況に比例して、致死率は低下傾向になりました。オミクロン株流行により上昇したものの、2022年3月以降は、致死率が0.01%程度(4月中旬で0.012%)の状況になっています。

 厚生労働省の発表では、季節性のインフルエンザでは年間約1千万人が感染し、インフルエンザの流行による直接的、間接的な死者(超過死亡者)は約1万人と推定しています。よって、インフルエンザの死亡率は0.1%程度であり、新型コロナの場合の致死率はインフルエンザの場合の1/8 程度となっています。

 日本の医療体制、さらに昨今の経済状況等を鑑みた場合、感染症の対応を第2類(ジフテリア・H5N1型鳥インフルエンザ、結核、新型コロナウイルス)よりインフルエンザと同じ第5類等に変更して、一般の医院での通常診療が可能な状態にした方が良いのかもしれません。
 因みに、第3類は、コレラ・腸チフス・細菌性赤痢などがあり、新型コロナウイルスはこれらより危険性が高いという判断になっていると理解します。
 いずれにしても、今後も長期間にわたって現在と同じ医療対応体制を継続すべきか、そろそろ考え直す時期がきているのではないかと愚考しています。

 

3.感染状況の他国との比較

 先進国である、米国、英国、ドイツ、フランスとの現患者数(感染者数より、回復者・死亡者数を差し引いたその時点での患者数)の、20221月以降の推移を以下に示します。

 世界全体では5億人以上の人が感染しましたが、現在は新規発生の患者数は減少傾向になっています。グラフでは米国以外はっきりとは見えにくいのですが、米国・ドイツ・フランス・英国ともに、患者数の減少が継続しています。理由として考えられるのは、これらの国では累計患者数が、人口の25%-40%となっており、免疫を持った人が増えているためではと想像しています。日本は累計患者数/人口では6%程度です。

 米国ではピークの1,800万人から現在は115万人に減少しています。日本の50万人と比べて人口が日本の半分程度の英(160万人)・独(380万人)・仏(270万人)の患者数を考えると、日本での感染の広がりはある程度限定的になっていると思われます。
 
なぜかは、種々考え方があると思いますが、日本人の日頃の生活習慣(手洗い・土足禁止・マスクなど)が影響しているのかもしれません。 

 新型コロナウイルスは、罹患しないように注意が必要な事は当然ですが、必要以上に恐れ、うつ病になったりしないように、心を平静に保ち、普通の生活を維持することが肝要だと考えます。 

以上

2022年4月掲載

新型コロナウイルスの感染状況についての考察 (1)

 

 

竹内 雄一

昭和45年卒 

2019年末-2020年初頭、中国の武漢でSARSMARSのような感染症が発生したと報告があり、当初、WHOはヒト-ヒト感染が認められないとの発表でしたが、ヒト-ヒト感染することが判明しました。 この時期は、中国の旧正月での多数の中国の人の海外移動が行われ、進出している中国企業が非常に多いヨーロッパのイタリアを皮切りに、ヨーロッパ全域に感染拡大、その後全世界に感染が拡大したことは皆さんご存じの通りです。

発生初期のWHOの対応、中国政府の対応含め、パンデミックを防止できなかった問題点はありますが、本稿では発生の初期段階から毎日の世界の感染状況の数値記録より、どのようなことが見えるか纏めることを目的としました。

ただし、あくまで数値結果より推察するもので、感染症・ウイルスの特徴など医学的な視点でのものではありませんので、あくまで一つの考え方・推論という事でご理解ください。

内容的には以下の数値の把握・分析となります。

日本及び、いくつかの国での、
1.2019年3月以降の、毎日の新規感染者数・死者数の確認。
2.毎日のその時点での罹患者数(=累計感染者-累計死者-累計回復者)の確認。
3.地域毎(例:ヨーロッパ、北米、南米、アジア、アフリカなど)の感染推移の確認。
4.中国に関しては、当局が提供するデータに不可解な点が多い故、分析の対象にはしていません。

 

(1) 日本の感染状況の推移

以下のグラフは、1か月間の感染者数・死者数を、2週間毎にまとめて表示したものです。一般に言われている、1波から5波は、このグラフより目で確認できます。

 参考:統計データは、worldmeter/USA より。 
    日本の数値は、政府発表のものと同一であること確認済。

1.この数値が示している内容は、

3-5か月程度の間隔で、感染の波がきている。
② 感染者数数の山は1波・2波・3波と高くなっている。
③ 死者数の山は、感染者数の山より、2週間-1か月遅れて発生している。
④ 死者数は、感染者数の多さにかかわらず、減少傾向にある。

2.上記の内容より導き出される推測は、
1か月間の感染者数・死者数の波は、

             感染者数     死者数
   1波:2020年 4月   11,942人  5月  551
   2波:2020年 8月   34,215人  9月       369
   3波:2021年 1月 156,438人       2月    2,637
   4波:2021年 5月 155,442人       5月    2,773人: 6月 2,761
   5波:2021年 8月 554,960人       9月    1,611

   感染の波が繰り返されるとすれば、5波の山が8月であったことより、次の山は、
   202112-20221月と予想される。その後も繰り返し感染の山ができて、全ての国民が
   感染する前に、多くの人に抵抗力・抗体ができることより、感染者数は頭打ちになり、
   どこかの時点で終息することになると思われる。2022年央には終息するのではないか?

  ② 感染者数の山が毎回高くなる事より推測できることは、ウイルスは子孫を残すという観点
   より、繁殖数を増やす=感染しやすいように変体する(オミクロン株のように)。

   私の勝手な推論だが、毒性を強く変体してゆくと、宿主を殺す事になり宿主がいなくなれば
   ウイルス自身も死滅することになるので、感染力が強化され、毒性が低下するという事に
   なるのではないか?

  ③ 1波から5波までをみると、ピークの感染者数とピークの死者数では、2週間-1か月の差がある。
   推測できることは、感染後、重症化し死にいたるまでに恐らく、2週間-1か月かかるのではと    思われる。よって、この期間を考慮して、死亡率=死者数/感染者数の式による死亡率の推移の
   確認においては、死者数は感染者数の2週間-1か月後の数値を用いて試算するのが適当と判断
   できる。

  ④ これは一つには、ワクチンの接種と関係あると思われるので、「日本のワクチン接種率と
   死亡率」のグラフを示す。

 

 以下のグラフは、日本でのワクチンの接種率と、死亡率の関係を示したもの。

 -ワクチンの接種率は、厚生労働省発表の資料により、医療従事者を含まない、一般の日本人全員を
 対象にしたもの。
 
-死亡率は、1か月間の感染者数を分母にして、1か月後の死亡者数を分子にして計算。
 2週間毎で推移をみるようにしてある。

  1.死亡率は、5月上旬のワクチン接種開始前では、1.4-3%程度に対して、開始後では、
   ワクチン接種率の増加とともに死亡率が反比例して0.5%前後に減少している事より、ワクチン
   接種が重症化・致死への一定の効果があると推測される。

  2.オミクロンの感染状況は引き続き確認するとともに、さらに細かく数値確認をする予定。

 

(2) オミクロン株に関して

以下の2つのグラフは、南アフリカの感染状況を示したもの。これはオミクロン株が、20211125日に南アフリカにて初めて報告があったゆえ、現状の南アフリカの状況を確認することによりオミクロン株の毒性含む性質を推測するためのもの。

  1ここでは毎日の感染者数、および、死者数を7日間毎に集計してグラフ化した。
   
上記の感染者数と死者数のグラフによれば、南アフリカでは、オミクロン株が11月下旬より
   急激に感染が広がり、1週間合計での新規発生患者数は、12月17日の164千人をピークに減少に
   転じ、1月14日の1週間合計では38千人となっており、現在終息する方向になっていると思われ
   る。 

  2.上記の感染者数と死亡率のグラフによれば、オミクロン株はそれ以前のデルタ株に比較して、
   死亡率が、オミクロン発生前(デルタ株)の5%前後より、オミクロン発生後は1%以下に
   下がっていることがわかる。尚、死亡率は、感染者数のピークと死者数のピークが2週間程
   ずれて出ている事より、分母の7日間の合計感染者数に対して、分子の7日間の合計死者数は
   2週間後のものを当てはめた。
 

以上より、日本は現在オミクロン株による感染が急激に拡大しているゆえ、絶対数の死者数は増加すると思われるが、死亡率はそれほど高くならない可能性があると思われる。これは 引き続き数値検証する予定。

 以上

2022年1月掲載

荒川区民大会報告

令和2年卒 小川 修平

八月某日、かつて荒川区民大会に若手O Bで出場していたことがあった、今年、再び出場してみないか、大内先輩(H 14年卒)からこのようなお話をいただきました。

これは面白そうだ、ということで、そこからO Bの先輩方に声をかけて、お忙しい中、平成24年卒から令和2年卒まで計9名の先輩にお集まりいただきました。

大会に申し込むという経験はなかったので、初めてのことだらけで戸惑うこともありましたが、大内先輩初め、後輩の李君にもご協力いただき、無事に出場することができました。

当日体育館についてみると、若いチームもありましたが、自分よりも親の方が年齢が近い、あるいはそれより高いチームもあって区民大会の一般男子部門という、経験したことのない雰囲気を感じました。

一試合目は、Z E R O  V Cという、自分達と同じような年代のチーム、しかも何やらみたことのある顔…(後で聞いてみたら、自分が現役の時に練習試合をしたことのあった東京成徳高校の現役とO Bの混合チームだったようです)。

第一セットは、酒井先輩(H27年卒)のビッグサーブも飛び出し、幸先よくセットを奪います。しかし、第二セット、私小川のトスが緊張からか、乱れ出します。相手のサーブもなかなか切れずに、第二セットを落とすと、勝負は最終セットにもつれます。第三セットも悪い流れを断ち切れず、福田(H27年卒)、酒井両先輩の奮闘も、13–15(特別ルールにより第三セット15点マッチ)で惜敗しました。

二試合目は、荒和会O Bというチーム、どうやら主催者団体のチームだったようです。選手たちの年齢層はどちらかというと、孫がいそうなお歳のチームでした。この試合では、せっかくなら楽しもうということで、ほぼ全員が普段やったことのないようなポジションで出てみようということで、ポジションを全てシャッフルして臨みました。しかし、流石の年の功というべきか、苦戦させられます。相手の足の長いスパイクをうまくあげられず、僅差の勝負となりました。最終的には、本職ではないとはとても思えない先輩方の活躍により、一セット目を奪取します。二セット目も同じような試合展開でしたが、無事に勝利を収め、通算成績一勝一敗で大会を終えました。

試合結果としては、二つあったリーグ戦の一方で4チーム中3位ということで、全体では6位という結果に終わりました。大学生主体というチーム構成にあっては、もう少し高い所へ行きたいところでしたが、決勝戦への進出、優勝は来年以降への宿題ということにしたいと思います。

一度もチーム全体で集まって練習することなどはなく、完全に急造チームでありましたが、先輩方の貫禄あるプレーに何度も助けられ、やっぱり先輩はすごいなあと思ったり、あるいはもっと年齢層の高い他チームの人たちが元気にバレーをやっているのをみて、大人になってもバレーを続けられたら楽しいだろうなあと思ったり、非常に楽しい大会でした。

自分の卒業以後、コロナの関係でO B会が開かれなかったり、体育館の建て替えで現役の部活が外部施設での実施となりなかなかコーチ以外のO Bが練習に行きづらかったりして、あまり開成バレー部のO B会というものに実感を持って触れられていなかった中でしたが、自分が開成バレー部のO B会の一員であることを実感する機会となりました。また、お集まりいただいた先輩方の中にはお子さんがいらっしゃる方もいたり、広い年代間で試合に出ることの面白さもありました。(緊張と稚拙なプレーで足を引っ張りまくりましたが(汗))

今回は9人の出場にとどまりましたが、来年以降はより広範な年代のO Bの先輩方や現役の顧問の先生方などにお声がけして規模が広がることや、また今回とりあえず開成感満載で登録したチーム名をどうにかしたり、あるいは無観客が緩和されるなど、もっと賑わうことを願っています。

最後になりますが、お話をいただいてさらにエントリーの段階で様々にお手伝いをいただいた大内先輩、そして後輩ながらサポートをしてくれた李君、ユニフォームや出場料等金銭面の融通をしてくださった金田先輩や、お忙しい中試合に出場くださり不手際だらけの手配にお付き合いいただいた先輩方に深く御礼を申しまして、区民大会の出場報告とさせていただきます。

2021年12月掲載

選手集合写真(敬称略、括弧内は卒年)

後列左から、王(H 28)、酒井(H 27)、福田(H 27)、前川(H 28)、中山(H 24

前列左から、藤本(H 29)、小川(R2)、會津(R2)、今川(H 29

トスをあげる酒井さん
(本当にセッター初めてですか?)

スパイクを打つ福田さん(スーパーレシーブを撮りそびれてすみませんでした!)

スパイクを打つ今川さん
(うまく撮れました!)

サーブを打つ會津さん
(同期がいて助かりました!)
ラストポイントのスパイクを打つ小川さん
(もっとがんばりましょう?)

私とバレーボール その5

昭和44年卒 片野 昭秀 

 前回の投稿から半年たってしまいました。その間新型コロナウイルス感染の蔓延、その中でのオリンピック、そして小学生バレーボールでは感染防止対策を施しながら如何に大会を無事に開催するかで知恵を絞りました。(執筆をサボってしまった言い訳です…。)

さて、本題に入ります。

 こんなルールがあるんだ 

 ブロックの反則の中に「アンテナの外側から、相手空間内のボールをブロックしたとき」とあります。長いことバレーボールに携わっていますが適用されたことを一度も見たことがないルールです。

 どのような状況か想像してみてください。

 Aチームのトスが流れアンテナの外側にいってしまいました。そのボールをBチームに返球したときにBチームがアンテナの外側でオーバーネットをしてブロックをしたという状況です。この場合たとえブロック後のボールがAチームのコート内に落ちたとしてもBチームのブロックの反則になるということです。Aチームから返球されたボールはそのままにすればアンテナの外側を通過するのでAチームの反則になるプレーです。

 ではどうしてこんなルールがあるのでしょう。それはそんな馬鹿げたことをするなと戒めのためということです。

  そんな馬鹿げたことがある?

 馬鹿げたことというと以下の事例はある試合で実際に起きたことです。

 相手チームの3回目の接触後のボールはオーバーネットしてブロックしてよいということは以前触れました。この試合中に、Aチームの3回目の接触後のボールがネット近くにきましたがとてもBチームのコートには届きません。ところがよりによってそのボールをBチームの選手がネット越しにブロックしたところ、あきらめずフォローに入っていたAチームの選手の手にあたりました。これはAチームの1回目の接触となります。その後トス、スパイクと続きAチームのポイントとなりました。Bチームの選手のブロックにボールが触れなければボールはそのままAチームのコート上に落ちBチームのポイントとなるはずだったのに余計なことをしたために折角のポイントを失ってしまいました。こんな馬鹿げたことも起こり得ます。  

 笑ってしまう話

・審判台上で選手からボールをぶつけられた。

 大学の試合でのことです。勿論ワザとではありません。トスが大きく流れてしまいサイドラインから離れ審判台の後ろまで来ました。レフトのスパイカーは大きく回り込みそのボールを無理な体勢からスパイクしました。位置が位置ですから相手コートを狙ったはずのボールは審判台上にいる私めがけて一直線、狭い審判台上では逃げようにも逃げられないしそんな余裕もありません。見事私のお尻に命中、痛かったぁ。(笑)
 

・試合中に後ろから肩を叩かれた

 日本リーグ(現在のVリーグ)での出来事です。ブロックにあたったボールがラインズマンをしていた私のはるか後方まで大きく跳ねそれを追いかけていった選手が見事にそれをつなぎラリーが続いていきました。私は選手の邪魔にならない様に逃げた後定位置に戻りました。次の瞬間いきなり後ろから肩を叩かれたのです。試合中のことなのでびっくりしました。なんとボールを追いかけていった選手がコートに戻っていく途中私の肩に触れて行ったのでした。コートに戻る選手にはボールは眼に入っていても小さい私は間近に来るまで眼に入らなかったようでした。(笑)
 

・副審が消えた

 大学男子1部リーグ、観客も大勢入っている試合での出来事です。

 ラリーが終わり副審を見ると見慣れない学生が笛を片手に立っているではありませんか。当の副審は私の方に歩み寄ってきます。何事かと思うと当人曰く「腹が痛くなってしまった。トイレに行かせてくれ。あの学生にあとは頼んだから。」と言ってその場を離れトイレに消えました。まさか学生に副審をさせ試合を続けるわけにもいかず、仕方なくレフェリータイムアウトをとりしばらくした後本人は帰ってきました。「いいぞ!○○〇レフェリー!」「気持ちよかったですか!」会場にいた学生たちは本人が帰ってくるなり大喜びで、からかうことからかうこと。あってはいけない出来事でした。(○○〇には排泄物を表す言葉、ひらがな一文字ずつが入ります)(笑)

 

 連載の最後に 

 私の考える他のスポーツにはないバレーボールというスポーツの持つ素晴らしさについて触れたいと思います。

 ナイスプレーをしたときの賞賛、ミスプレーをしたときの激励を間近でお互いの肩をたたき合い、お互いの手に触れながらできる、それがバレーボールというスポーツの持つ素晴らしさだと思っています。

 他のスポーツではどうでしょう。

 野球の場合、ナイスバッティングをした選手はホームランを打った場合を除きベンチからはるか遠くのベース上にいます。ナイス守備をした外野手は遥か遥か遠くにいます。内野手は外野手よりは近いと言っても9人全員が手の届くところにはいけません。サッカーはシュートが決まった時は全員で賞賛できます。それ以外は全員で賞賛・激励という訳にはいきません。そんなことをしていたらたちどころに逆襲にあいます。バスケットボールはサッカーよりコートが狭く選手同士近くにいるのでファウルがあった時は可能ですがワンプレーごとに全員が集まれません。卓球、テニス、バトミントンはできるといっても二人だけです。

 そのように考えるとバレーボールだけが、試合中コートにいる全員が一つになり肩を叩き合い手を触れ合いながらお互いを誉め励まし合って進めていけるスポーツです。それがバレーボールというスポーツの他のスポーツにない特性でバレーボール独自の素晴らしさと思っています。 

 5回にわたって連載させていただきましたが、今回でひとまず終わりにさせていただきます。ダラダラとした拙文をお読みいただき有難うございます。 

 これが掲載される頃には現役高校生新人大会の結果が出ているでしょう。高体連のHPによると、3日目は開成の新体育館で行われるとのこと。新体育館のお披露目記念で何としてもシード権を勝ち取り関東大会出場へ向けて弾みをつけて欲しいです。私たちも早く新体育館をこの目で見たいものです。

2021年11月掲載 

東京オリンピック体験報告

                                平成11年卒 楓 淳一郎

平成11年卒業の楓です。この度、東京オリンピックのバレーボールにラインジャッジとして参加してまいりました。応援してくださった開成バレー部卒業の皆様方へ感謝の意を込めまして、以下にご報告させていただきます。

720日に品川プリンスホテルにチェックインするところから、私のオリンピックが始まります。受付で「楓様、2021日ですね」と告げられて覚悟が決まりました(笑)

最初の数日はウェアの受け取りやリハーサルを行い、いよいよ24日からは10日間のグループリーグ戦です。ラインジャッジは全部で27名、それを3グループに分けて、朝番(12試合目)、中番(34試合目)、遅番(56試合目)と一日ずつローテーションしながら担当します。遅番の場合、6試合目終了が深夜1時を過ぎることも多く、その後に翌日のネット設営、有明アリーナからホテルまでの送迎バス45分、その後に入浴や洗濯…となると、就寝が3時を過ぎます。国内にいながら時差ボケという状況で、なかなか辛いものがありました。(決勝トーナメントに入って試合数が減ると徐々に生活のリズムも戻りましたが)

試合はいずれも見応えのあるものでしたが、私が担当した中で印象深いのは、81日男子日本vsイラン戦です。日本がフルセットの激闘を制し、29年ぶりのベスト8進出を決めた試合です。以下からご視聴いただけます。私は画面左下でエンドラインを担当させていただきました。

https://sports.nhk.or.jp/olympic/highlights/content/b4f706a5-ddf5-468f-8836-db67e5fe8662/

試合後の1枚:左から二人目

コロナ対策のため体育館との往復以外は外出禁止で、コンビニに買い物へ出ることもできない、いわゆる「バブル方式」の生活でした。3日目には早くもホームシックになりましたが、閉会式翌日の89日にチェックアウトするまで、終わればあっという間の3週間でした。コロナ禍での開催となり様々な思いが交錯したオリンピックでしたが、無観客の寂しさはあっても、改めてスポーツの持つ魅力やバレーボールの奥深さを体感することができました。故中村先生には遠く及びませんが、何とか務めを果たせたものと安堵しております。1964年の前回大会での思い出を何度も聞いて(聞かされて?)いたからこそ、「東京2020」を目指すモチベーションができたものと思います。改めて天国の中村先生には深く感謝申し上げます。そしてA級審判員を目指す中で道に迷いそうな中、激励し導いてくださった片野先輩にも厚く御礼申し上げる次第です。恩返しには足りませんが、今回の経験を後進にも伝え、開成の後輩たちにも何らかの形で還元できたらと考えております。

結びとなりましたが、このような報告の場を設けてくださったOB会の諸先輩方に深く感謝申し上げるとともに、開成学園バレーボール部の益々の活躍を祈念いたします。この度は誠にありがとうございました。

追伸

私がラインジャッジを担当した中で、非常に思い出に残っている試合をご紹介させていただきます。

2014春高女子決勝「九州文化学園vs東九州龍谷」 ※楓は画面右下

https://www.youtube.com/watch?v=2uDf7mx58bU

九文のエース田中瑞稀(現JT)の魂のスパイクと東龍の繋ぎに心が震えました。フルセットのデュースという激闘でしたが、「5セット目って何点で終わりだっけ?」と分からなくなってしまう、春高屈指の名勝負です。これぞバレーボール、胸が詰まる極上のラリーをぜひご覧ください。

2021年9月掲載

東京オリンピック

                                平成11年卒 楓 淳一郎

 私事ではございますが、東京オリンピックにラインジャッジとして参加する予定です。720日~89日の間、有明アリーナと品川プリンスの往復のみで外出不可と生活には大幅に制限がありますが、約3年の研修や英会話のトレーニングの成果を発揮したいと思います。また、勤務先である佼成学園女子高校のバレーボール部員たちも、コートアシスタントとして参加させていただく予定です。

思えば、故中村先生は前回のオリンピックでのラインジャッジの逸話をよく語ってくださいました。57年の時を超えて恩師と同じ東京オリンピックでレフェリーをできることに運命を感じています。在学中は先生に迷惑をかけてばかりの私でしたが、これもご供養と思い、誠心誠意、務めたいと思います。

レフェリーの大先輩でもある片野さんに見守られながらバレーを続けている我が子たちも含め、「バレーボール」が繋ぐ浅からぬ絆を感じる毎日です。開成バレー部卒業の名に恥じぬよう、また故中村先生、そして片野先輩のご指導に報いることができるよう、オリンピックとその後の審判活動に精進してまいります。開成学園、そしてバレーボール部のさらなるご活躍をお祈り申し上げます。 

あいにくと私がラインジャッジ中の良い画像がありませんでしたので、代わりに私がラインジャッジを務めた試合の中で一番印象に残っているゲームの動画URLをお知らせいたします。

 2016年リオ オリンピックの女子最終予選、日本vsタイの試合です。フルセットの末、レッドカードが2枚出て日本が逆転という壮絶な試合でした。国際大会の魅力を改めて感じていただけるゲームだと思います。

 私は画面右上、エンドラインを担当しています。

 

  https://www.youtube.com/watch?v=k5W8B5k5PCk

 2021年7月掲載

私とバレーボール その4

昭和44年卒 片野 昭秀

前回の投稿後某OB会員から以下のような返信をいただきました。

「そういえば私たちが現役の時の三人レシーブで打ち手の片野さんのボールがすごくスナップが効いて当たりそこねがなく、少し当てるだけでキレイにあげることができたのを覚えています。コントロールも抜群でした。」(無断で引用しました。悪しからず) レシーブ練習をする際選手に気持ちよくさせることが非常に大切です。ミートよくしっかりとドライブ回転をかけてボールを打つとレシーバーの手に当てただけでボールは気持ちよく上がっていきます。嘗てそれを感じ取っていただいていたことが分かり大変うれしく思います。レシーブ練習の際、打ち手はそこを意識してボールを打たなければなりません。自分の思ったままにレシーブしにくいボールをレシーブできないところに打っていたらレシーバーの上達はありえません。 

さて、本題に入ります。今回はスパイクとアタックの違いから始まります。

 通常私たちはスパイクもアタックも、相手コートに向かいボールを強く打つ動作のこととして同じ
意味で使っています。ですが、ルールブックには「サービスとブロックを除き、ボールを相手チームに送るすべての動作はアタックヒットとみなされる。」とあります。アタックとアタックヒットと言葉は似ています。ルール上のアタックヒットは、レシーブしたボールが相手コートに向かって飛んで行ってもラストボールをパスで返してもどちらもアタックヒットとなります。

 次に、バレーボール競技の特性で試合の目標は、と聞かれたら何と答えますか。ルールブックには
以下のように書かれています。「相手コートにボールを落とすために、ネットを越してボールを送る
こと、そして相手チームの同様な努力を阻止すること。」普段何気なくプレーしていますが文章にするとこうなるわけです。

このようにルールブックを読んでみると案外知らないことが多々出てきます。今回はその辺りを話します。

 

 サービスを、投げたり片手にのせたまま打ったりしてはいけないか?

 サービスの実行という項目がありそこには、「ボールがトスされたか、手から放たれ後、片方の手
または腕のいずれかの部分で打たなければならない。」とあります。では、なぜいけないのでしょう。バレーボールではボールを明瞭にヒットしなければなりません。ボールをつかむことや投げることは
明瞭にヒットすることに反します。従って投げたり片手にのせたまま打ったりしてはいけないのです。

 つかんだり投げたりしてはいけないのですが、ラリー中にそれに似たプレーが出現し許されている
プレーがあります。さて、どんなプレーでしょう?それは相対するチームの2人の選手がネット上で
同時にヒットした場合です。この場合ボールへの接触が長引くことがあったりボールが止まってしまったりすることがありますがそのままプレーは続行されます。ボールをレシーブするチームには3回の
ヒットが許されます。従ってボールがアウトになれば反対側チームの反則になります。

 3回ボールに触れた後とても相手コートには返せないと空中にあるボールをつかんでしまいました。キャッチ(ホールディング)の反則になるのでしょうか。この場合は持つ前に触るのが先ですから
フォァヒット(オーバータイムス)の反則になります。持ってしまったのが1回目、2回目、3回目
ならば当然キャッチの反則です。

 

 ネットタッチorタッチネット、どちらの言い方が正しい?

 ラリー中に相手チームの選手がネットに触れた時ネットタッチを縮めて「ネッチ!!」と思わず叫びますね。ですがルール上は、タッチネットが正しい言い方です。

さらに、

・「ボールをプレーする動作中の選手による両アンテナ間のネットへの接触は反則である。」

・「相手チームのプレーを妨害しない限り、選手は支柱、ロープ、またはアンテナの外側にあるネットや他の物体に触れてもよい。」

・「ボールがネットにかかり、その反動でネットが選手に触れても反則ではない。」

とあるようにネットに触れたからと言ってすべて反則になるとは限りません。また、タッチネットの
反則になるのはアンテナ間の網目の部分ということです。

 

 ブロックだったらどんな場合もオーバーネットして相手チームにあるボールに触れていいの?

 ブロックとは

・ネットより高い位置で、

・相手チームから来るボールを、

・ネット近くで、

・阻止する。

この4つの条件を満たす動作をブロックと呼び、加えてブロックの試みが必要です。そして、
ブロックの試みとはブロックの動作でボールに触れないものです。さらに相手チームのアタックヒット後ならばネット越しに相手チームにあるボールに触れてもよいことになります。

 条件の一つに相手チームから来るボールとあります。自分たちに向かって来るボールならばオーバーネットしてブロックしても構いません。向かって来るボールですからネットに平行なトスやパスは
オーバーネットしてのブロックはできません。ただ3回目の接触後は必ず相手に返球しなければなりませんからオーバーネットしてブロックしてよいとなります。

例を挙げると、ネットから離れた位置でネットに向かいトスを上げました。タイミングが合わず
スパイカーが空振りをしました。空振りの後ブロッカーがオーバーネットしてブロックをしました。
この場合相手チームから来るボールなのでオーバーネットしてボールに触れてもよさそうですがここに一つ条件があります。トスしたボールは2回目の接触なのでもう一度プレーできます。スパイカーの
陰にフォローに入ったプレーヤーがいてその選手がまだボールに対してプレーできる状況の場合、これはオーバーネットしてボールに触れたら反則になります。状況判断が難しいところです。

また、私のような低身長者、いや高身長者であっても、ネットから離れたネットより低い位置で相手コートからくるボールに触れた場合その動作がブロックらしいものでもこれはブロックとは言わず
レシーブとなりその後2回しかボールに接触できません。

 

35年ほど前に日本バレーボール協会公認A級審判員資格取得講習会を受講しました。その時に
ルールブックを隅から隅まで読み深め条文をすべて暗記しました。大分忘れてしまいましたし、その
当時とルールが変わったところもありますが大筋においては変わりません。

 

今回はここまでにしてもう少し続きます。

2021年6月掲載

私とバレーボール その3

昭和44年卒 片野 昭秀

 今回はスパイクについて書いてみようと思います。 

 私が子供の頃、東京体育館等で試合が行われ選手が退場した後一般観客がコートに入ることができました。そして何をするかというとほとんどの人間がネット近くでスパイクを打つまねごとをします。そこでサーブレシーブのまねごとをする人間はまずいません。バレーボールを始めたものにとって豪快なスパイクを打つことは誰しも憧れるものです。私も同じでした。ネットの上からスパイクを打ちそれが相手のコートに突き刺さり得点する快感。何度も夢に見ました。ですが中学入学当時身長130㎝のチビにはスパイクの練習をさせてもらうことはありませんでした。高校時代も同様でした。自分にはスパイクを打つことはあり得ないと思っていました。それが大学に入り仲間と話をするうちに、将来的にバレーボールに関わっていくのならスパイクの一本も打てるようになろうと思うのは自然の流れでした。

 スパイクを打てるためにはネットの上ボール2個分まで届くことが最低の高さです。ネットの高さが243㎝、ボール1個の直径が21㎝、従って最高到達点285㎝が必要です。私は背が低いのみならず腕も短く指高は200㎝、従って85㎝ジャンプしなければなりません。一口に85㎝と言いますが当時の私は垂直飛び50㎝、ランニングジャンプ70㎝がいいところ、全く届きません。そこで目標として目を付けたのがバスケットボールのバックボードでした。バックボードの下までの高さが290㎝、ここに届けば目標クリアとしました。科学的なトレーニング方法がまだ紹介されていない時代です。とにかくぴょんぴょん跳ねていました。目標達成はかないませんでしたが285㎝前後には届いたと思います。

 実際にネットに向かってスパイクを打つのは、練習の前後に行いました。ここで助かったのは周りには将来バレーボールを教えたいと思っている人間が何人もいたことです。スパイクについて素人の私は彼らにとって格好の材料でした。手取り足取り教えてくれました。私が工夫したのは手の振り上げです。何としても高さを確保したいのでバックスイングをできるだけ大きくし、そして左手とともに右手の肘を右耳の位置まで一気に振り上げそこからインパクトするようにしました。このフォームですと高さは出るもののスイングの際肩に負担がかかるのと手のひらが上を向き肘が前に出やすくなるので現在このフォームを取り入れる指導者は殆どいません、お勧めできません。

 次はどうやって相手コートにボールを打ち込むかでした。理屈上の高さには届いたものの実際にボールを打ってみるとそうは簡単にいきません。そこで教えてもらったのが、トスをネットから離してもらいそのボールに強い前回転を付ける(ドライブをかける)ことでした。そのためには手のひらでしっかりボールをとらえるつまりミートをよくすることでした。このミートをよくする練習は一人でもできます。壁に向かいます。ボールを打ち壁の1~2m手前にバウンドさせ壁にぶつけます。跳ね返ってきたボールをそのまままた打ち先程と同じところにバウンドさせ壁にぶつけ戻ってきたボールをまた打ち続ける、という練習をしました。これはミートが悪いと続けることができません。次にジャンプをしてボールを打ちこれを続ける練習をしました。こうしてミートをよくしより強い前回転がかけられるように練習しました。また、レフト側から相手コートの逆サイド奥の角を狙うと、正方形の対角線の長さである9×1.4mまでの範囲に打ち込めばよくなりコートを広く使えます。このようにしてスパイクを打ってみると、威力はありませんがスパイクらしきものは打てるようになりました。

 練習を続けるうちに今度はゲームの中でスパイクを打ってみたくなりました。これも当然と言えば当然です。東京学芸大学バレー部には女子部があります。その練習に参加させてもらいゲーム形式の練習の際に使ってもらいました。当時学芸大学女子部は関東大学リーグ1部に所属していました。そして今と違い女子1部下位チームですと選手の体格はさほど大きくありませんでした。さらにゲーム形式の練習をするにあったてはレギュラーの相手となるスパイクを打てる選手はさほどいないのが現状で、私くらいの身長でそこそこスパイクが打てるとなると練習相手としては格好でした。そこでゲーム中にスパイクを打つ楽しさ、打つこつそしてスパイカーの気持ち等を学びました。

 このように、努力し、工夫し、練習の場所が確保できれば低身長者でもスパイクを打つ快感を得ることができるということを体感しました。

 

 そこで皆さん、スパイクとアタックの違いをご存知ですか。次回はその辺りを話したいと思います。

2021年5月掲載

私とバレーボール その2

昭和44年卒 片野 昭秀

 

前回、私とバレーボールについて述べました。その後もう少し詳しく思いを書いてみたくなり再度ペンをとった次第です。

昭和44年4月東京学芸大学入学式当日、式の開始を待っていると前にいた人間が隣にいる知り合いらしき人間に「バレー部に入るだろ、俺は入るから一緒に入ろう」と話しているのが耳に入りました。これ幸いとその人間に声を掛けました。彼は振り向きざまに「あれ! お前、開成じゃないか! 俺だよ、上野だよ!」。上野高校とは5校リーグ戦(注)と国体予選で対戦していました。言われてみると確かに見覚えのある顔でした。式が終わった後一緒に部室に行こうと話がまとまり大学バレー部員としての生活が始まりました。彼らとは4年間、泣いたり笑ったり言い合ったりしたよい仲間です。

本題に入る前に、関東大学バレーボール連盟(通称学連)と東京学芸大学のポジションを簡単に説明します。

現在は、各部12チーム編成で9部まで、登録数約100校となっています。私が在籍した昭和44年~47年は、各部6チーム編成で11もしくは12部まで、登録数約70校と記憶しています。春と秋のリーグ戦ごとに各校の順位が決まります。上位になると一つ上の部の下位と入れ替え戦を行い、下部では自動的に入れ替えが行われ最終順位が決まります。それに加えトーナメント大会の全日本大学選手権、東日本大学選手権(当時は関東大学選手権)があります。東京学芸大学は、現在1部に在籍し最高5位、全日本8位、東日本4位が最高の成績で強豪校の部類に入っています。私が入学した昭和44年は4部、その後4部と5部を行ったり来たりしていましたので全体からすると中の上くらいの力でした。

4月入部したての頃は春のリーグ戦が始まる直前ですので新入生はパス・対人レシーブはさせてもらえましたが、他は当然のごとく球拾いが仕事、いや球拾いが練習です。しかも私のようにチビで高校時代に何の実績のない者はなおさらです。たまにシートレシーブに入れてもらったときは嬉々としてコートに飛び込んでいきました。入部の際目標はと聞かれ「セッターになりたい」と答えました。それを主将が覚えてくれていたのか、ある日練習の最後に「片野、トスを上げてみろ」と指名があり半分びっくりしながら半分喜んでコートに入っていきました。「高く、アンテナの外側まであげろ」と言われ始まりました。トスを上げるたびに先輩たちが口々に「高くあげるんだ!」「アンテナまで延ばせ!」と言うのですが当時高校ネットの高さは2m30㎝、大学は2m43㎝この13㎝の差、加えてアンテナの位置がサイドバンドよりボール1個分20㎝外です。トスを上げる事にはある程度の自信はありましたがこの13㎝と20㎝がどうしても縮まりません。高くあげると届かない、届かせると高くなりません。加えてアタッカーの打ちやすい死んだボールがあらない、自分のパス力のなさを思い知らされて練習は終わりました。

身長160㎝、指高200㎝、垂直飛び50㎝の私にとって致命的なのはブロックに参加できないことです。どうあがいても指先しかネット上に出ません。それでも高校時代は、私がフォワードの際はブロック2枚、私は常にブロックの後ろでフェイントとワンタッチボールを拾うというフォーメーションでそこそこ試合はできました。ですが大学は2枚のブロックでは全く通用しないことが春のリーグの試合を見てよく分かりました。パス力のなさと併せ、セッターをやるという夢はあきらめレシーブに専念することにしました。

レシーブ専門といっても現在のようにリベロというポジションはありません。1セットに1回バックライトに来た選手に代わりコートに入りサーブを打ち、3回のローテーションで再び交代、バックのポジションだけ務めるものです。ピンチサーバー、ピンチレシーバーと呼ばれました。そのために人1倍のレシーブ力がなければなりません。そこで行きついたのが、腕の面をしっかり作り正面で受け止めればどんな強いスパイクボールでもこわくはなく、さらに正面に入るためにボールの行く先を読み取ることがすべてのボールに対してのレシーブ力を高めるということです。そこに至る際に大変役に立ったのが当時やっていたスパイク練習です。当時メンバーは13人しかいませんでした。そのうちの9人が3人ずつレフト・センター・ライトの3ヶ所に分かれスパイクを打ちます。残った4人の内2人はネット近くでボールを次々渡します。最後の2人が打たれたボールを拾いネット近くの人間に返します。3ヶ所からくるボールを2人で拾うのですからボールが飛んで行ってから取りに行っても間に合いません。ボールの行方に先回りして待っていないと次から次へとくるボールに対して間に合いません。その練習を続けるうちに9人のスパイクを打つコースは殆ど読み切ることができるようになりました。試合の時はその延長で、相手がどのコースに打ってくるか練習中にしっかりフォームを観察したものです。

ピンチサーバーは1セットに1回1試合では最大5回、ピンチというように文字通りチームが不利な時に登場することが多いです。その状況で、相手を崩しあわよくばポイントになるサービスを打ち、ナイスレシーブをし、大きな声を出しコート内を走り回ってチームの雰囲気を変えるそんなピンチレシーバーを目指しました。サーブは1回、レシーブする機会は1回もないことがあります。その数少ない機会がうまくいったときは自分の存在感を示せたと悦に入ったものでした。折角コートに入れてもらってもサーブで崩せなかったり、ボールが来なかったりすることが数多いです。そんな時でも大きな声を出しコートを走り回りチームを元気づけることはできます。キャプテンとなった年のリーグ戦会場で優勝を争った相手チームの監督さんから「私のチームも君のような元気のあるピンチサーバーが欲しいんだよ」と言われた時は嬉しかったです。この話はおまけがあり、それから十数年経ったある日、審判で大学リーグの会場に向かったとき偶然前述の監督さんとバッタリ出会いました。挨拶がてら昔の話を持ち出したところ、「あの時の選手は君か!」と覚えてくれていて感激しました。

レシーブの際に心がけていたことの二つ目は、さわったボールは味方のいる方に上げることです。そうすれば誰かが繋いでくれます。当たり前のことですがこれが難しい。どんなに強いボールをレシーブしてもどんなに遠くにあるボールに触れてもそれが次につながらなければナイスレシーブにはなりません。ですのでとにかく味方のいる方へそのために、後ろから前へ、外から中へと動くようにして、最悪でも自分の頭の上にあげることを意識していました。特にセッターには「何処へボールをあげたらよいかはっきり示せ、そこにボールをもっていく。」と伝えていました。また当時はブロックに触れた回数もカウントされました。従ってブロック後のワンタッチボールをただ頭の上に上げただけでは次にチャンスボールを相手に返すことになります。ワンタッチ後のボールをトスにすることで攻撃につながっていきます。さらにサーブ権がないと得点にはならないので、得点に大きくかかわるプレーです。ブロッカーには「ワンタッチをとれ、そうしたらトスにもっていく。」アタッカーには「必ずトスにするからいつでも打てるように準備しておけ。」と要求していました。

飛んでくるボールのコースを先読みする、味方のいる方へボールをつなぐ、この二つが私のレシーブの極意でした。 

今回は一先ずここまでにし、またの機会に続きをしたためたいと思います。 

注) 五校リーグ戦  

開成バレー部OB昭和37年卒の方々が主将飯塚公啓先輩を中心として、勉学・スポーツを共に切磋琢磨していこうと提唱された。永遠のライバルである麻布高校、都立の進学校小石川高校、上野高校、日比谷高校に呼び掛け昭和35年に開成を会場として第1回大会が開催された。

70年史によると、途切れ途切れではあるが平成18年まで開催された記録がある。このように脈々と引き継がれてきたが、都立高校の部員不足による活動低下、大会増による開催時期確保の困難さなどで平成20年頃より中断している。

現在は都立3校も復活しているので再開を臨みたい。 

麻布OB昭和43年卒谷山雅裕先輩、開成OB平成9年卒宮利政現顧問、お二人にも話を伺いました。

 昭和46年度全日本大学選手権のプログラムを添付しました。この年は開成出身者が7人エントリーされています。バレーボール名門校ならばいざ知らず、一校から7人もエントリーされている高校はありません。以下紹介します。
(プログラム掲載順)

■東京教育大学(現筑波大学)・柳宏さん(昭和46年卒)
 現在、都留文科大学バレーボール部長です。
 
女子部は関東リーグ2部1位、1部に手が届くところに
いる強豪チームです。

立教大学・吉田耕一さん(昭和43年卒)
 
バレー部OBではありませんが当時学連委員長の要職を務められていました。

東京大学・田中俊一さん(昭和43年卒)
 
私の1学年上、ポジションはセッターでした。

東京学芸大学・片野昭秀(昭和44年卒)
 筆者

千葉大学コーチ・片野清昭さん(昭和42年卒)
 2歳年上の私の兄です。

一橋大学・鵜沢豊さん(昭和43年卒)
 田中さんと同じ学年のセッターです。当時は2枚セッターが主流でした。

武蔵工業大学・丹沢和夫さん(昭和43年卒)
 バレー部OBではありません。残念ながらどのような方か存じ上げていません。

2021年2月掲載

私とバレーボール

                                  昭和44年卒 片野 昭秀 

 教員志望だった私は東京の教員養成大学、東京学芸大学に進学しました。大学でもバレーボールを続けようと思っていた私は迷わずバレーボール部の門を叩きました。そこで出会った人間は開成の人間とは全く違う人種でした。

 東京学芸大学は国立大学です。私が入学した昭和44年当時国立大学の授業料は月額1000円でした。ネット情報によると公立高校は800円、私立高校は4340円となっています。従って経済的に裕福な人間は少なかったです。  私は理科が専攻でしたが、バレー部員は保健体育科の人間が主流を占め、彼らの多くは卒業後体育の教員になってバレーボールを教える、という思いを持っていました。それ故殆どの部員が週5日授業終了後17時~20時3時間の練習、オフの日はアルバイトをしながら学費、生活費を稼ぐという毎日を過ごしていました。それはバレー部に限らず他の運動部員も同様でした。

 将来バレーボールを仕事の一環とする思いを持つ彼らは、バレーボールとは何か、それを指導するとは何か、何のために指導するのか、そのためにどのような指導法があるのかということを常に考えていました。開成時代そこまで考えの及ばなかった私にとって、彼らのバレーボールに対する取り組む姿勢は全く斬新なものでした。そんな仲間の中で4年生になりキャプテンを任せられました。開成バレー部の時代とともにこの時代が私のバレーボール人生の礎になったと言っても過言ではありません。

 そのような大学時代を過ごした後私は小学校の教員となりました。小学校に部活はありません。バレーボールを続けたいと思っていた私には何か物足りないものがありました。その中で学芸大学のバレー部の先輩たちを中心に、東京の小学生にバレーボールを普及させるための組織「東京都小学生バレーボール連盟」を結成するという動きが立ち上がりました。 その一環として連盟主催の審判資格取得講習会が昭和53年に行われました。 その講習会は開成で行われ講師が開成バレー部の恩師である故中村博次先生でした。 講習会後の打ち合わせが体育教官室で行われ私は受講生でしたがその席に呼ばれました。 そこで中村先生の「片野を日本協会公認B級審判員に推薦しなさい。」との鶴の一声で何が何だか分からないうちに公認審判員になりました。

 B級審判員として活動を始めた後、東京都バレーボール協会の推薦で日本バレーボール協会公認A級審判員となり活動が広がりました。 全日本小学生大会の決勝戦をはじめ、大学選手権の決勝戦でも笛を吹きました。 残念ながら故中村博次先生と同じ国際審判員には手が届かなかったので国際試合や日本リーグ(Vリーグ)の笛は吹けませんでした。 ですがラインズマン(現在はラインジャッジ)では89ワールドカップの優勝が決まるキューバVSアメリカ戦(注)、代々木体育館満員の観衆の中で旗を振りました。 また私のジャッジの仕方がとても良いとビデオ・写真でラインズマンのお手本とされたこともありました。 今となってとても良い思い出です。

 開成出身のA級審判員として平成11年卒の楓さんが活躍されています。楓さんの息子さんは6年生の時に東京代表で全国大会に出場し見事に優勝しました。 このことはHPやFBに掲載されていますのでご覧になった方が多数いらっしゃると思います。 私はそのとき会長職にいました。 公私にわたり大変うれしかった出来事です。 また、開成バレー部は中村先生、私、楓さんと国際・A級審判員を3人輩出しています。 東京広しといえど、このような高校バレー部は稀有な存在です。

 東京都小学生バレーボール連盟の上部団体、日本小学生バレーボール連盟では理事、全国大会の実行副委員長などを務めました。 東京都バレーボール協会では理事を務め現在は監事をしています。  日本協会ではかつて情報処理部員として個人記録集計システム(現在のJVIMS)立ち上げに携わり、同時にFIVB(国際バレーボール連盟)がVIS(個人記録集計システムの国際試合版)を導入した際に日本バレーボール協会関係への普及にも関わりパソコン片手に日本各地を歩きました。

 最後になりますが、自分が所属する母体の東京都小学生バレーボール連盟では、B級審判員に推薦された後昭和55年より連盟の役員となり現在に至っています。 その間、審判委員長7年、副理事長6年、理事長8年、副会長4年を経て現在は会長を務め小学生バレーボールの普及発展に尽力しています。

 (注)この年のワールドカップは8チーム総当たりのリーグ戦で行われた。 キューバ無敗、アメリカ1敗で迎えたこの試合は最終日に行われ、キューバが勝てば全勝で優勝、アメリカが勝てばセット率の関係でアメリカが優勝、いずれにせよ勝ったチームが優勝、世界ナンバー1を決める試合だった。 結果、キューバが勝ち優勝、負けたアメリカは4位になった。

2020年12月掲載

松下産業が「朝日がん大賞」受賞

S50年卒の松下和正先輩が社長を務める松下産業が「朝日がん大賞」を受賞しました。

 この賞は、公益法人日本対がん協会が対がん運動に功績のあった個人または団体を表彰するものです。松下さんの会社では、10年以上前から、がんに罹患した職員やご家族を積極的に支援する部署を設けて、がん治療と仕事の両立ができるように支えてきたことが高く評価されました。

 がんの臨床に携わる者として、治療よりも仕事を優先してしまい、残念な結果に終わってしまう患者さんもいるなかで、大変ありがたい取り組みであると思いました。昔から後輩にやさしく、思いやり深い松下先輩ならではの業績と感じ、たいへん誇らしく思い、報告させていただきました。

日本対がん協会ホーム>ニュース:2020/9/1報道向け発表>「朝日がん大賞」「日本対がん協会賞」受賞者決定

S51年卒 上野 雅資 2020年9月掲載

 自動運転の技術最前線
   ~産学官連携研究開発プロジェクト2件の紹介~

 

 

井上秀雄  Hideo Inoue

神奈川工科大学 創造工学部
自動車システム開発工学科 教授 

開成学園バレー部OB S49年卒 旧姓 山崎

 

1.まえがき

 早いもので,開成を卒業してから46年が経ちます.最近のことは良く忘れるくせに,中学・高校・大学とバレーボールを続けてきた記憶は鮮明に思い起こされ懐かしい想いです.私は,早稲田大学理工学部卒業後,トヨタ自動車(株)に就職し,一貫して,走る・曲がる・止まる,そして安全や環境に寄与する車両の制御システム全般の研究開発に携わってきました.私が責任者として手掛けたエポックとしての開発例は,1995年 世界初の横滑り防止システムVSC(Vehicle Stability Control)2006LS460の統合安全システム1)Integrated safety system,これも世界初)等があります.前者は,単独事故の低減に大きく貢献しました.逸早く標準装備とした結果,米国のSUV系の単独死亡事故(ロールオーバー等)が約65%も低減したことが米国運輸省道路交通安全局(NHTSA)から報告されています2)2007).後者は,グローバルな運転支援システム全体の元祖となり,歩行者等障害物検知の自動ブレーキ(AEBS)ACC/LKA,パーキングアシストなど各社の装備拡大に繋がっています(これらも事故低減に貢献).

 そして,リーマンショックの前後の時代には,トヨタ自動車のR&D企画部を担当し,クルマ造りのアーキテクチャーとしての基礎を充実するだけでなく,自前主義体質を変えようと,システム思考で,産学連携のオープンイノベーションやIT業界連携など,次世代のCyber physical systemとしてエコシステムの変革に備え,様々な布石を打つことに奔走してきました.最近の豊田章男社長の「もっと良い(私は自分が納得できる)クルマ造り」「CASE時代のmobility会社への変貌」又,「トヨタが作る未来都市Woven City3)(裾野市 東富士研究所付近)」等の報道を見るにつけ,2010年前後当時の提案活動が漸く花開いたと,嬉しい限りです.

 現在は,本学で,ドイツ工科大学の様に,強靭な自動車工学の基礎と先進の研究と人材輩出の体制が,日本でもできないものかと2016年よりチャレンジしています.この原稿を頼まれた時に,これらの自分の生きざまを振返ると,開成時代にバレーボールをやってきた,サーブで始まりブロック・レシーブ・アタックと,常に前へ,次へと,ひた向きな行動の繰返しの経験そのものだったかな,と感じています.改めて青春時代に縦横の皆様との英知ある環境から潜在的に築かれたものと深く感謝します.

 思わず前置きが長くなりましたが,本稿では,自動運転/運転支援に関し,特に安全性確保のために私が取組んできた産官学連携研究開発プロジェクト2件を紹介致します.

 

2.自動運転に関する産学官連携研究開発プロジェクト2件の紹介

 これまで,あまり一般には語られてきませんでしたが,自動運転の安全性論証には,3つの律速点があります.この解決無くして,まともな実現はないと思ってきました.それは,

① 熟練ドライバの様に,経験に基づき見えている状況から見えない歩行者の飛出しなどを予測する(「かもしれない運転」の様な)リスク予測知能の不足

② 自然界相手の走行環境をセンシングするセンサ技術の物理的限界の検証が不十分.いくらAIで認識能力を上げたかに思えても,所詮,知覚されないものは認識できない.このため,どれだけやれば安全性保証したかが言えない(How safe is safe enough?).

③ 信頼性・安全性評価は,実車走行の実績評価に頼らざるを得ず,莫大なコスト(人・物・金)がかかる.天気予報の様な,検証データに基づく仮想環境シミュレーションでの評価環境構築が必要.また,個社の頑張りだけでない,包括的な活動が希薄.

の3点です.1つ目の産学官連携プロジェクトは,①に関し,科学技術振興機構(JST)戦略的イノベーション創出プログラム(Sイノベ)の採択テーマとして,201012月より研究開発を推進し,2019年度で終了したものです.又,2つ目は,②,③を取り扱ったもので,「内閣府 戦略的イノベーション創出プログラムSIP2期自動運転(システムとサービスの拡張)」の採択テーマとして,201812月~現在,推進中です.それぞれ,私はプロジェクトリーダーの責務を担っています.以下,それぞれ紹介します.

 

  2.1. JST_Sイノベ;「高齢者の自立を支援し安全安心社会を実現する自律運転知能システム」
                                     
4) 5) 6) 7) 8)

 高齢者が自立して元気に生活していくためには安心安全な移動手段としての自動車が欠かせません.又,全国知事連合と共同で実施したアンケートでは,高齢ドライバは自身の運転に不安がある一方で,元気に自分で運転を続けたい意志のある方も多くいらっしゃいました.この様な背景のもと,本研究では,高齢者の運転能力の低下をバックアップし,熟練ドライバの様な先読み技術で事故を回避する自律運転知能システムの開発・実用化を目的としました.(図1)

図 1  S-innovation vision

 プロジェクトの構成メンバは,神奈川工科大学,トヨタ自動車,日本自動車研究所,東京大学高齢社会総合研究所,東京農工大学,豊田中央研究所の6機関で,トヨタ時代から本学に移っても,(言い出しっぺだったせいか)私は責任者として本研究開発推進役を担ってきました.

 図2に予防安全のリスクフェーズの考え方を示します.この中で熟練ドライバの知恵と経験に学ぶと,「潜在リスクを読む(かもしれない運転)」技術がないことが解ります.本プロジェクトではこの点に注目し研究を進めてきました.成果の概要を図3に示します.

図 2  Risk phase concept on active safety

図 3  Edge technologies produced by S-innovation project

 本研究は,一般に言われる自動運転とは違い,①運転リスク予測制御技術(図4,5),②ヒヤリハットデータベースによる走行危険度推定AI(図6),③人間機械協調技術(図8),④リーン地図利用の外界環境認識プラットフォーム技術,⑤産学連携で一元化した開発環境(Closed open style)⑥公道実証(FOT)と分析方法,など日本独自のイノベーティブな技術を達成してきた点が特徴です.現在は,これらの成果が認知され,自動運転/運転支援の安全性,社会受容性にも欠かせない技術として産業界が実用化に取り組んでいます.

 更に,図6で示された「ドライバ運転行動要因のリスク指標」「走行環境要因のリスク指標」は,システムに実装されリスク予測制御として効果を発揮するだけでなく,運転・交通流シミュレーションにも組込み,リスク予測制御の効果予測も可能にしています(図7).

 元々,Sイノベのビジョンでは,高齢社会課題を世界に先駆けて(?)迎えた「課題先進国日本」ですが,これを英知で解決し,「課題解決先進国日本」として,同じ高齢社会課題を後発で迎えるグローバルな各国へも貢献することも目標に掲げていました.近年はグローバルにもこの技術に注目し始め,自分たちのシステムに取り込もうとしてくれています.尚,この「課題先進国日本」を「課題解決先進国日本」に! の考えは,東大元総長の小宮山先生のものです.私たちは,小宮山先生のお考えを具体的に実行してきたわけです.

 このプロジェクトは,Ⅰ基礎原理,Ⅱ応用実装(プロト車両),Ⅲ公道実証の3ステージでそれぞれ3年×3回の約10年続けた研究開発です.ステージ移行審査は厳しいチェックが入りますが,当初ビジョンからブレない研究成果を全うし,各ステージをクリアし10年続いた,日本の自動車業界では珍しいプロジェクトです.10年は長いと言う方もいらっしゃいますが,欧州のプロジェクトはこの様な10年プロジェクトは当たり前で,技術の連続的発展にはこれくらい掛かります. 

図 4  Hierarchical structure on risk predictive control

 2010年と言えば,米国のDarpaチャレンジで自動運転が叫ばれ,Googleなどが一躍,脚光を浴びたころです.このSイノベプロジェクトは同時期にスタートしました.社会課題の解決を目的として自動運転とは違う日本文化に基づく発想で,リスク予測技術や人間機械協調制御技術などを構築してきました.そして現在,自動運転にこれらの技術が反映されようとしており,先見性があったと廻りからは言って頂いています.しかし,私たちは,先見性があったとは思っておらず,最初に立てた高齢社会へのビジョンを達成するために10年後の出口を明確にし,バックキャストすることで,マイルストーンをおき,何よりも,ブレずにチーム研究を実行してきた結果です.お蔭様で,JSTの最終審査は「S評価」と高く評価して頂きました.

図 5  Optimal trajectory planning using risk potential physical modeling

図 6  Framework for near-miss incident data driven AI based risk predictive control

図 7  Virtual traffic and vehicles simulation platform to estimate the risk predictive control

図 8  Haptic shared steering control

 最後に,プロトタイプ車を各大学周辺の公道約10㎞で,約100名の高齢ドライバパネラーの実証実験の結果を示します(図9).肯定的な意見がほとんどで狙った通りの結果でした.因みに,自動運転に対する米国JD-power社の消費者アンケートの結果を図10に示します.この二つは,一概に比較はできませんが,真逆のユーザー意見です.機械はやはり人間に信頼されてはじめて使われるものだと痛感しました.人馬(車)一体感のでる,人間機械協調制御(Steering shared control)は今回,詳細には触れませんでしたが,これも面白いものです.機会があれば,どこかでご紹介します.

図 9  Elderly drivers’ impression for S-innov. Vehicle

図 10  User opinion for Automated Driving 9)

2.2. SIP-adus2期自動運転;「仮想空間での自動走行安全性環境整備手法の開発」10)

 

 このプロジェクトは,自動運転の安全性評価(Safety assurance)の観点からシミュレーションを中心としたVirtualなプラットフォーム環境を構築し,システムの評価効率を上げようとするものです(図11).その為には,自動運転システムその物をモデル化するだけはなく,自然界とも言うべき走行環境のモデル化も必要です.自動運転におけるセンサのモデル化は,特に重要で,ミリ波レーダーの電波,カメラにおける可視光線,Lidarと呼ばれるレーザー光としての近赤外光の,反射特性(再帰,拡散,鏡面反射など)や透過特性が,雨や霧,太陽光などの周辺照度,等周辺環境の影響で,どの様に変化するか気の遠くなるような物理現象を捉え,それぞれのセンサの電磁波原理に基づく長所と弱点を把握しなければなりません(図12).

図 11  Scope & Objectives on DIVP

図 12  Ray-tracing model between environmental and sensor model

 しかし,あまりに壮大なことでこれまで,実計測に基づく一致性を検証したセンサーモデルはありませんでした.カメラの画像認識は,最近のDeep learningなどのAI学習などにより各段に認識技術が向上したと言われていますが,走行データを網羅的に学習させるので,一度,問題が起こるとどの部分を改良すれば適切なのかがわりません.安全性保証を,どこまでやれば安全と言えるか,How safe is safe enough? などと国際議論が進められてきましたが,いまだに有効な糸口には辿り着いていません.本プロジェクトでは,このセンサと対象となる環境との間の電磁波の反射特性に注目し(図12),それぞれの電磁波原理に基づく物理シミュレーションを原理計測の一致性を検証して構築する.そして,業界センサ専門家たちの暗黙知を整理しセンサの弱点条件と凡その原因を形式知化する.そのシナリオ条件に基づき,仮想環境モデルと,電波伝搬と呼ばれるパストレース,レイトレースモデルを構築する.それらを,又,検出対象の計測実験によりモデルに反映する.更に,認識出力では多くの要因を含むため,一度,センサが信号として検出しているかの知覚出力で評価するようモデル化する.というような研究開発アプローチをとっています.(ここまで読んで頂いた方には,敬意を表します.兎に角,ややこしい話に足を突っ込んでいる訳です.)

図 13  Project design for DIVP

以上の様に壮大な目標を持ったプロジェクトの為,それぞれ専門性のある8つの会社と2大学の計10機関の研究コンソーシアム形式で進めています(図13).とんでもない業界混成チームです.これで上手く行くのかと国の各省庁は最初,心配されたと思いますが,実は,この様なアプローチには良いお手本がありました.それは「天気予報」です.かつては当たらないものに「天気予報」が挙げられていましたが,今ではその予測は消費者の信頼を得て毎日の生活に欠かせない情報になっています.この「天気予報」の研究開発の歴史を紐解いてみると,3つの重要な要因が見えてきました.それは,①物理的な原理モデルの追求,②ハイパフォーマンスなコンピューターの進化の利用,③種々の統計的データの蓄積(物理モデルと統計モデルを組みあわせる.又,データベースとして構築)です(図11).この三位一体のアプローチをお手本として,原理モデル作成→実験による一致性検証→ギャップ原因の解析→モデルの改良のサイクルをひた向きに追求することで各機関の役割が明確になります.まだ,スタートしてから17か月の経過ですが,急速に成果が出てきて,業界,省庁からの注目と期待が高まっています.Lidarはかなり実機に近い出力をシミュレーションだけでできるようになってきました(図14).カメラも専門メーカーの一致性の高いモデル化が進んでいます.ミリ波レーダーセンサの電波は,オン性能としての信号か,ノイズかの見分け方,更には,対象物のマルチパスの課題など最もモデル化が難しいものですが,基本的な反射はシミュレートできるようになってきました.

図 14-(a)  Simulation model examples; Dynamic Lidar modeling

図 14-(b)  Simulation model examples; Integration model on camera, 

Lidar, Radar, and Automated Driving vehicle

昨年10月のSIP-adusの国際Workshopでも,このDIVPDriving Intelligence Validation Platform)プロジェクトの活動を発表(図15)したところ,欧米からも注目され,ドイツとは国家機関を通じてプロジェクト同士で連携することになり,この7月より国際連携プロジェクトがスタートしました.又,SIP-adusの他プロジェクトのお台場での自動運転デモは,オリンピック延期やコロナ禍の影響で,トーンダウンせざるを得ず,逆に,本仮想環境の安全性評価DIVPプロジェクトとの連携が強まっています.DIVPプロジェクトは,今年中には,日本自動車研究所(JARI)等での,アセスメントとしてのNCAPシナリオをVirtual proving groundとしてモデル化予定ですし,これまで他のプロジェクトが自動運転の実証実験を実施してきたお台場エリアを,センサ不調条件を模擬するVirtual community groundとして20213月までには,モデル化する予定です.

図 15  Presentation from Prof. Hideo Inoue on SIP-adus Workshop 2019

DIVPコンソーシアムは,独禁法や利益相反の観点から,お互いの企業のノウハウ・尊厳を守りながらも,センサーモデル等の一致性の検証で協力し合い,評価プラットフォームを構築しなければなりません.そして,シミュレーションの構造やインターフェイスの標準化で全体が繋がることを共通の目的に推進しています.その運営は,競争と協調が混在し,とても大変です.しかし,感覚的には,中学・高校のバレー部の,「部活」と似ており,お互いの人格を尊重しながら共通の目的の為に繋がりをもちひたすら前に進むことと同じです.これもお蔭様で「ブカツ」のノリで,地で行けています(国には,とても「ブカツ」のノリとは言えないので皆様との間の機密です).早くOEMや業界が本DIV-プラットフォームシミュレーションを使って自動運転の安全性検証を進められる日が来ることを祈願して止みません.

3.おわりに

 書いているうちに,だらだらと長いだけの寄稿になってしまいお恥ずかしい次第です.ここまで,読んで頂いた根気のある方には,本当に感謝致します.ありがとうございました.社会人になってからの私の経験は,一貫して自動車産業の安全技術の進化に貢献してきたと自負しています.又,まだ,現役で頑張っていられるのも開成バレー部時代に,先輩方,後輩,同僚との縦横の時空間での環境で,知らずのうちに潜在的に身についた習慣や教訓があってこそのことと,この寄稿を書いていてありがたく思います.手前みその経験話で恐縮でしたが,「開成バレー部魂」はこんな所にも宿っているとご理解下さい.OB会,そして現役の学生諸君には,ほとんど貢献しておらず失礼していますが,現役諸君からの刺激も受けたいですし,又,OB皆さまと思い出話を語り合える日も待ち望んでいます.コロナ禍に負けないよう,皆様のご健康とご多幸を祈願し,本稿の締めと致します.

 

                             2020713日 井上 秀雄

〔参考文献〕

1)  NHTSA Technical Report, Statistical Analysis of the Effectiveness of Electronic Stability Control
   (ESC) Systems – Final Report, DOT HS 810 794, July 2007
   https://crashstats.nhtsa.dot.gov/Api/Public/ViewPublication/810794

2)  トヨタ自動車(株)広報資料 https://global.toyota/jp/detail/1617355

3)  トヨタ自動車(株)広報資料 https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/31170943.html

4)  井上秀雄,et al, 超成熟社会に向けたクルマの知能化,自動車技術会シンポジウム(No. 06-14)
 
「自動運転への最新技術情報」講演,20145

5)  Hideo Inoue, Research into ADAS with Driving Intelligence for Future Innovation, 26th IEEE
  International Electron Device Meeting 2014, Keynote Speech, 15 December 2014

6)  井上秀雄,et al,高齢者の自立を支援し安全安心社会を実現する自律運転知能システム,
  JST戦略的イノベーション創出プログラムSイノベシンポジウム,講演資料,20169

7)  Hideo Inoue 他 Intelligent Driving System for Safer Automobiles Invited Paper,
  Journal of Information Processing Vol.25,Information Processing Society of Japan, January 2017

8)  井上秀雄,運転支援・自動運転における安全技術の進化と安全性評価について,自動車機能安全
  カンファレンス2019基調講演,講演資料,201912

9)  JD-Power 2018 survey results, https://www.businessinsider.jp/post-170748

10) SIP-adus Workshop 2019 報告書 https://www.sip-adus.go. jp/evt/workshop2019/

11) 〔新聞記事〕,井上秀雄,JST 高齢運転者の事故防止へ 自律運転知能システム,
   
交通毎日新聞記事,2017年5月25日

12) 〔新聞記事〕,井上秀雄,政府支援 仮想空間で自動運転開発,読売新聞朝刊,2020112